おでん教室
おでんと歌舞伎
元 公益財団法人三井文庫 常務理事・文庫長。明治大学名誉教授。1931年長野県生まれ。東京大学在学中、学生歌舞伎連盟のリーダーの一人。歌舞伎鑑賞歴は60年を超えている。
歌舞伎にもおでんが登場します。江戸時代の事件を劇化した、明治18年が初演の「四千両小判梅葉」(河竹黙阿弥作)という演目にはおでん屋が登場して舞台を盛り上げます。演目中のおでん屋の呼び声は「おでん燗酒、甘いと辛い」。
歌舞伎の中に出てくるおでん

歌舞伎の芝居の中で、世話物という、いわゆる市井の人々、商人や職人などの庶民の生活を劇の対象とした分野がある。このなかでは、飲むことと食べることのシーンが少なくない。
幕末から明治にかけての歌舞伎の台本作家の河竹黙阿弥は、空前で絶後の脚本家であったが、酒はもとより、そば、おでん、まんじゅう、菓子やお茶漬けなどの場面を随処に描いた。たとえば、そばについては、片岡直次郎といういきな二枚目を主人公とし、冬の夜のそば屋を舞台として、かけこんできた直次郎が、ツルツルと格好よくそばをかっ込む場面を設けており、 それが見所のひとつとなっている(「天衣紛上野初花」)。
おでんは、「四千両小判梅葉【明治18年(1885年)千歳座初演】」に出てくる。
この芝居は、幕末にある盗賊が江戸城に忍び込んで小判を盗んだ事件があり、これを劇化して、富蔵という小悪党が、やせ浪人を仲間に入れて、堀を泳いで城内に忍び込んで四千両という大金をせしめるが、最後には捕えられるという筋書きの黙阿弥の傑作の一つである。
戦前は、六代尾上菊五郎と初代中村吉右衛門という二人の名優が、見事に演じて名声を博した。序幕は「四谷見附」の舞台で、夕暮れから夜にかけて人影もまばらな四谷見附(現在の中央線四谷駅近く)で、たまたま出会った二人が、この大仕事をたくらむ場面で、月並みなそばではなく、温かく味を楽しむおでんを選んだところに黙阿弥の炯眼が感じられる。
事実、四谷見附での菊五郎の図太い小悪党と吉右衛門の気の弱い浪人という対照的なキャラクターのやりとりと動きがまことに面白く、伝馬町の牢屋の場面とともに語りつがれており、戦後になっても初代尾上松緑らが上演した。現代の若手たちにやってもらいたい歌舞伎の世話物の一つである。

平成改築後の歌舞伎座
千葉大名誉教授の松下 幸子さん談
演目中のおでん屋の呼び声は「おでん燗酒、甘いと辛い」であり、この甘いと辛いはみその味であって辛いみそには唐辛子を添えたと言われている。
この他に、「樟紀流花見幕張」は別名題「慶安太平記」ともいい、河竹黙阿弥作で明治三年守田座初演の歌舞伎狂言がある。この演目中の台詞には、丸橋忠弥の台詞で「煮込みのおでんでやっちょるね」というのがあるという。