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練りもの教室

アジア練りもの ベトナム編

  • 講師:ワット・キム・イエン先生(料理店オーナー)
  • 講師:森枝卓士先生(写真家、ジャーナリスト)

アジア最大の河川であるメコン川を有するこの国は、古くから魚食の文化があり、様ざまな種類の練りものが食べられています。
ベトナムで人気の練りものやレシピについてワットさんに、さらに練りものと魚食について森枝さんにお話をいただきます。

ベトナム料理 練りものは定番メニュー

ワット・キム・イエンさん ワット・キム・イエンさん
1995年、拓殖大学で貿易を学ぶため来日。卒業後、好きだった 料理の道にすすむことを決意する。「フースアン」料理長などを経て、2002 年、西池袋に「フォー・ベト・レストラン」をオープン。

材料や調理法も様ざま、お祝いやおもてなしの料理にも

ベトナムは南北に細長く、ホーチミンなどの港に近い南部、ダナンなどの川が多い中部、ハノイなどの山に囲まれている北部と、大きく3つの地域に分けることができ、それぞれの名物料理も地域の特色が現れたものになっています。

私の出身でもある南部を中心に、魚介や魚介のすり身を使った料理は多く作られていて、今回ご紹介する「チャー・ムック」や「チャオ・トム」をはじめとした練りものは、ベトナムの家庭料理ではスタンダードなメニューです。練りものの種類は豊富で、魚のほかにイカやエビ、肉を混ぜて、揚げたり、ゆでたり、蒸したりと、具材や調理法も様ざまなものがあります。

ベトナムと日本の練りものとの一番の違いは食感で、ベトナムのしっかりとしたかみごたえに対し、日本のものは、ほどよい弾力です。子どもにとってはそのほうが食べやすいようで、2歳になる息子は日本の練りものが大好物。揚ボールを串に刺してあぶったものがとくにお気に入りです。

また、日本のように、フードプロセッサーなどの便利なキッチン用品が一般家庭に浸透していないベトナムでは、すり身はすりこぎを使って作るため、時間も手間もかかります。ですから、練りものなどのメニューは家庭で作るときは、普段食べるばかりでなく、お祝いやおもてなしの席のごちそうとして食べられることもあります。

たっぷり野菜やハーブと一緒に食べるのがベトナム流

「チャー・ムック」※1 は、祖母がたびたび作ってくれた思い出のレシピ。イカのすり身に豚肉を混ぜて肉の旨みを加えることで、味に深みを持たせます。たっぷりと練り込むハーブも香りよく、食欲をそそりますよ。
同じ材料でも、焼いたり、ゆでたり、揚げたりと様ざまにアレンジができます。ポイントはできるだけ少ない油で、時間をかけて弱火で火を通すこと。そうすると、外はこんがりきつね色で中はジューシーに焼きあがります。
わが家ではハーブを抜いてあっさりと味つけたものを、アツアツのお粥に加えてゆでるのが定番でした。

チャー・ムック

チャー・ムック

また、「チャオ・トム」※2 はエビのすり身で作った、ベトナムで最もポピュラーな練りメニュー。しんにしているサトウキビごとかぶりつくと、エビとサトウキビの甘みが口いっぱいに広がります。
どちらの練りものも、たっぷりのハーブなどと一緒にレタスやライスペーパーに包んで、たれをつけながらいただくのがベトナムのスタイル。ベトナム料理はどんなメニューでもいっぱいの野菜と食べることが多く、とってもヘルシーなんですよ。

※1 チャー:肉や魚をみじん切りにして油で揚げた食品
  ムック:イカ
※2 チャオ:魚肉やエビを炒めたもので作ったペースト
  トム:エビ

チャオ・トム

チャオ・トム

ベトナム人は麺類が大好き!一番人気はそうめんによく似た“ブン”

「練りものと野菜のブン」は、ベトナムの定番ごはんを、日本の練りものを使ってアレンジしたメニュー。
日本ではベトナムの麺というとフォーが有名ですが、実はベトナムで一番食べられているのは、ブンと呼ばれる米でできた細麺。日本で手に入りにくい場合は、そうめんで代用ができます。
ブンやフォー、ミー、フーティウなど、ベトナムの麺は本当に種類が豊富で、家庭で使われるのはもちろん、屋台で食べられることも多く、朝ごはんや軽い食事として庶民の胃袋を満たしています。調理法や具材もいろいろで、なかには、汁がなく、麺にたれと具材をからめて食べるものや、つけ麺タイプのものもあります。

練りものと野菜のブン

練りものと野菜のブン

野菜や魚がたっぷりのベトナム料理、家庭でも気軽に試して

市場で販売されている魚介類

市場で販売されている魚介類

ベトナムの魚介料理の代表的なメニューは「カー・コー・ト」(魚の土鍋煮)と「カイン・チュア・カー」(魚の酸っぱいスープ)で、ベトナム人の食卓に欠かせないこの2品は、組み合わせて食べることもしばしば。魚は「カー・ロック」(雷魚)などの、川魚がよく使われます。
ベトナム料理と日本料理の共通点は、ヘルシーで栄養バランスがよいところ。また、ベトナム料理は辛さや酸味がほどよく優しい味なので、日本人には食べやすいアジア料理だと思います。
ニョクマムやホットチリソースなどベトナムの調味料も、最近では日本のスーパーマーケットで簡単に手に入るようになりました。

ベトナムのちくわはサトウキビ味!?

森枝 卓士(もりえだ・たかし)さん 森枝 卓士(もりえだ・たかし)さん
写真家、ジャーナリスト。大正大学客員教授。1955年熊本県生まれ。東南アジアを中心に世界中で取材活動を行う。カレーの漫画『華麗なる食卓』(集英社)の監修なども。著書に『食べているのは生きものだ』(福音館書店)、『食べもの記』(福音館書店)、『カレーライスと日本人』(講談社学術文庫)、『干したから……』(フレーベル館)など、食にまつわる著書、写真絵本など多数。

アジアの食文化の近しさと違い

初めて、ベトナム式の「竹輪」を食べたときは、ちょっとした衝撃でした。30年ほど前のことですが、鮮烈に覚えています。竹にすり身をつけて焼くという日本のそれも、焼き立てのかぐわしい竹の香りなど思い出しつつ、すばらしい知恵だと思います。

そして、ベトナムでは、サトウキビを使って作っているというわけなのです。エビのすり身が多いようですが、すり身にサトウキビの甘みが自然とついているおもしろさ。
日本のちくわはご存じのように、そのまま食べられるだけでなく、おでんの種ものになったり、キュウリやわさび漬けやら、あれこれの詰めものがされたり、てんぷらにされたりと食べ方に様ざまな工夫がされます。

ところで、ベトナムのそれはほとんど決まっています。定番のパターンがある。一口大に切り分け、好みのハーブともどもサニーレタスのような葉っぱに包み、ニョクマムをベースにしたたれにつけて、食べる。揚げ春巻などと同じような感じですが、とにかく、ヘルシーな美味で、いくらでも食べられる。

魚をすり身にして食べるということだけでなく、それ以上に似たような発想。しかし、明らかに違うものの存在することに、文化の近しさと、とはいっても同じではないのだ、その違いを認識しつつ理解しなくてはいけないのだ、ということを実感したものでした。

少々、大げさかもしれませんが、日本では当時、まだ食べられなかった、ベトナム式ちくわを食べて、アジアの食文化の近しさと違いに興味を抱いてしまったのかもしれません。

ベトナムの味 “ニョクマム”

ベトナムの味といって、思い出すものといえばニョクマムでしょう。秋田の“しょっつる”、能登半島の“いしり”同様、魚を塩漬けにして作る「しょうゆ」です。あるいは、タイのナムプラ同様、「魚醤(ぎょしょう)」などと呼ばれるものです。

食通としても知られる文豪、開高健は『ベトナム戦記』というルポを残しています。その本のはじまりが、ニョクマムの話なのです。ベトナム人が強いのは、ニョクマムのおかげなのだと、いささか牽強付会(けんきょうふかい)の説まで展開していて、微苦笑させられるほど。
それ以降、ベトナムの食について書かれた本は、すべてといっていいほど、いかにニョクマムがベトナム人にとって、重要な調味料かと述べている、はずです。
それは誇張でもなく、日本人にとってのしょうゆのように重要な調味料だといえるでしょう。

ところが。興味深いことに、さほど古いものではないのです。200 年とさかのぼらない。ベトナムの長い歴史を考えると、昨日のような話であります。なぜか。
ひとつには、魚を塩漬けにして発酵させた食品、つまり、塩辛は古くから用いられていたのですけど、その液体部分だけを分離して調味料とするようになる、それが、新しいのだということ。

ちょうど、日本で古来から豆醤(まめびしお)の名で、味噌が使われていたのに対して、その液体部分からたまりが作られ、さらにしょうゆとなったのが、江戸時代に入るくらいの時期であることと同じような関係であるといえましょう。

ニョクマムの様子 撮影/森枝 卓士

ニョクマムの様子 撮影/森枝 卓士

アジアの“米と魚と塩辛と”

それに加えて、もともとは内陸部に稲作の文明が発達したことが指摘できると思われます。海辺のデルタ地帯を開拓するのは大変なことでした。タイのバンコク、ミャンマーのヤンゴンも同じように、数百年しかさかのぼらないのですが、それ以前はもっと内陸部の盆地で、稲作がなされていたのです。

海辺のデルタ地帯を開拓するのは大変なことでした。タイのバンコク、ミャンマーのヤンゴンも同じように、数百年しかさかのぼらないのですが、それ以前はもっと内陸部の盆地で、稲作がなされていたのです。

川から灌漑(かんがい)設備を作り、水を田に引き、稲作をする。すると、当然ながら、川から魚が入ってきます。稲が育つ環境は、魚にとって、鳥などの外敵から身を守りやすい場所であります。そこで育つ。

しかし、稲刈りの時期ともなると、水を落としてしまう。まとめて、魚が取れる……。一度に食べきれるようなものではないので、塩漬けにして、保存食品とする技術が発達しました。それが、塩辛の類だというわけです。

というわけで、ベトナムをはじめとする東南アジアの国々には、様ざまな塩辛があります。場所によっては、さらにそれをご飯と一緒に漬け込んだ馴鮓(なれずし)も作られ、今に至ってもいます。日本に今も残る鮒鮨のようなもので、寿司の原型です。

つまり、東南アジアで生まれた、そのような食の体系が、中国南部から稲作と共に、日本に伝わったものだと考えられるのです。
稲作と魚を食べることが、セットというか基本のコンビネーションになっているという食の体系であります。それだけ、ベトナムをはじめとする東南アジアの人々は、「米と魚」という食の基本的な組み合わせに慣れ親しんできたのだということです。

日本の場合、中国や朝鮮半島とともに、大豆という主食のパートナーもありました。水田や麦畑のあぜ道に植えられ、あぜ豆などと呼ばれていました。文字通りのセットでした。

市場でも魚はたくさん売られている 撮影/森枝 卓士

市場でも魚はたくさん売られている 撮影/森枝 卓士