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練りものと文学

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昔からかまぼこは“ハレの日”に食すことが多く、小説の中に出現するかまぼこも、ほかのものとは別格のようです。『吾輩は猫である』では口取りのかまぼこを正月に食べるシーン、江戸末期の下級武士の食日記には「大に馳走(大ご馳走の意)」との表記も。『東海道中膝栗毛』のなかにも「かまぼこ」と「はんぺん」が出てきます。

夏目漱石とかまぼこ

明治の文豪、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』のなかには、かまぼこが何度も登場します。たとえば……

挨拶が済んだら、あちらでもチュー、こちらでもチュー、という音がする。おれも真似をして汁(しる)を飲んでみたがまずいもんだ。口取(くちとり)に蒲鉾(かまぼこ)はついているが、どす黒くて竹輪の出来損(できそこ)ないである。

(『坊っちゃん』)

寒月君は面白そうに口取(くちとり)の蒲鉾(かまぼこ)を箸で挟んで半分前歯で食い切った。

(『吾輩は猫である』)

『吾輩は猫である』では「口取の蒲鉾」を正月に食べる場面。こうしてみると、明治から大正にかけては、裕福な都市民の間で、正月をはじめとする祝いごとのときにかまぼこが食されていたことがわかります。さらに、『吾輩は猫である』で面白いのは、比喩としてもかまぼこが何度も登場すること。

両人(ふたり)が出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾(かまぼこ)の残りを頂戴(ちょうだい)した。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕(ももかわじょえん)以後の猫か、グレーの金魚を偸(ぬす)んだ猫くらいの資格は充分あると思う。
そこでハンニバルはこの大きな岩へ醋(す)をかけて火を焚(た)いて、柔かにしておいて、それから鋸(のこぎり)でこの大岩を蒲鉾(かまぼこ)のように切って滞(とどこお)りなく通行をしたそうだ。
やはりインスピレーションと云う新発明の売薬のような名を付けておく方が彼等のためによかろうと思う。しかし蒲鉾(かまぼこ)の種が山芋であるごとく、観音の像が一寸八分の朽木(くちき)であるごとく、鴨南蛮(かもなんばん)の材料が烏であるごとく、下宿屋の牛鍋(ぎゅうなべ)が馬肉であるごとくインスピレーションも実は逆上である。
僕のうちなどへ来て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、僕の国では蒲鉾(かまぼこ)が板へ乗って泳いでいますのって、しきりに警句を吐いたものさ。

こうやって見てみると、漱石は本当にかまぼこが好きだったのでしょうね。

『吾輩は猫である』

中学校の英語教師である「珍野苦沙弥」の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、珍野一家やそこに集う彼の友人、門下の書生たちの人間模様を風刺的に描いている。1905年(明治38年)1月、俳句雑誌『ホトトギス』に発表され、翌年8月まで連載。漱石の処女小説。

『吾輩は猫である』

新潮文庫

『坊っちゃん』

親譲りの無鉄砲で江戸っ子気質の主人公「坊っちやん」が、四国の中学校に数学教師として赴任、いろいろな問題にも正義感に駆られて活躍。初出は「ホトトギス」1906年(明治39年)。松山中学の英語の教師だった漱石の体験が素になっていると言われる。

『坊っちゃん』

新潮文庫

なつめ・そうせき
1867〜1916年 江戸の牛込馬場下横町に生まれる。日本を代表する小説家で、代表作に「坊っちゃん」「吾輩は猫である」など多数。「明暗」が絶筆。

幕末の下級武士の食日記に登場する練りもの

三井では送別の意味も込めたのでしょうか、御馳走です。献立は玉子の吸い物、つまみとしてインゲン、蒲鉾、長芋の寄せ物、巻玉子、まぐろの刺身、そして寄せ鍋。飯に蒲鉾、椎茸、せり、汁は豆腐です。
数多い遊女屋のなかで異人が行く岩亀楼の見物では、きれいで豪華な異国作りに、ただただ驚くばかりです。別座敷で、はんぺんの吸物や刺身、蒲鉾に寄せ物、いんげんになまこの酢物、そして寄せ鍋などで酒を呑んだ伴四郎、猪口をほしくなり、申し出たところ他の皆も同じことを言います。

『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版』

かまぼこなどはたいへんなご馳走だったようです。
藩邸で行われた能の会用折り詰めのおかず、仕事で赴いた豪商三井家でのふるまい、ご祝儀として到来物、送別会、横浜への異人見物での食事と実に多くのシーンに練りものが登場します。

『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版』

ちくま文庫

<書籍紹介>
時は万延元(1860)年、江戸藩邸勤務を命じられた紀州和歌山藩の勤番侍・酒井伴四郎は、江戸での単身赴任の日々をこと細かに日記に記しました。蕎麦やすしなどの定番江戸グルメから、質素倹約を主とした長屋の食生活まで、几帳面な伴四郎の日記から当時の江戸の「食」を紙上再現。

あおき・なおみ
1954年~東京生まれ。立正大学文学部助手などを経て、虎屋文庫研究主幹として和菓子に関する調査・研究に従事。2013年同社を退職、現在は日本菓子専門学校、東京学芸大学、立正大学などで非常勤講師をする他、時代劇ドラマなどの考証を行なう。

『東海道中膝栗毛』十返舎一九

江戸時代後期の戯作者・浮世絵師、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』。出版すると大ヒット、その後シリーズ化されました。主人公の弥次郎兵衛と喜多八、つなげて「弥次喜多(やじきた)」の名は、現在でも道中ドラマには欠かせない愛称となっています。

厄落としにお伊勢参りを思い立ち、東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都、大坂へとめぐる弥次喜多の二人。道中、狂歌・洒落・冗談などをかわし、いたずらを働き、失敗をくり返しながら行く先々で騒ぎを起こします。そのなかの会話に「かまぼこ」と「はんぺん」を発見しました。

彌次「もふとつくに初めていらァ。 ドレ、もうーツ初直してからささう」 北「イヤおいらはこれだ(ト、茶碗についでいきなしにぐつぐつとやらかし)、アゝいゝ酒だ。時に肴は、ハゝァ蒲鉾も白板だ。鮫じやァあんめへ。漬生姜に車海老、やぼじやァねへ」
金「サア、ーツ上りなされ」 北「始めよふ。ヲトゝ平は何だ。ハゝァ葱に半ぺい(はんぺん) は聞へたが、こっちでは半ぺいを焼くと見へて、真黒に焦げていらァ」 吉「ヲホゝゝソリヤ歌賃(注:ネギを入れた雑煮餅)ぢやわいな」

『東海道中膝栗毛』(国立国会図書館蔵)

じっぺんしゃ・いっく
1765年〜1831年 江戸時代後期の戯作者、浮世絵師。『東海道中膝栗毛』は1802年(享和2年)から1814年(文化11年)にかけて初刷りされた滑稽本。「栗毛」は栗色の馬のことで、「膝栗毛」とは自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意。