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日本の食文化としてのおせち料理の歴史や成り立ち、地域性に注目しながら、「家庭の魚料理調査」「お正月首都圏調査」「我が家のお正月食卓写真募集」「お正月に関するアンケート調査」4種類の調査結果に基づいて、“正月と魚食”をテーマに構成しました。
行商などの交易伝承や、庶民の信仰の旅などについて、民俗学の視点から研究をなさっている山本志乃さんに、調査の分析と解説をお願いしました。

縁起物としての魚

縁起物としての魚

烏賊(スルメ)正月に食べる魚のうち、先述した鰤と鮭以外を上位から見ると、鯛、数の子、海老、鮪、烏賊と続きます。戦後になって高級食材の仲間入りをした鮪を除き、他はいずれも江戸時代からめでたい魚として祝い事に用いられてきたものばかりです。

鯛や数の子は、中世の成立といわれる『包丁聞書』に「出門に用る魚鳥」として記載されていますし、海老は、その漢字から長寿を表すとして、江戸時代初期の『日本永代蔵』に蓬莱の飾りとして用いられていたことが書かれています。烏賊(スルメ)は平安時代の『延喜式』にも記載された神饌で、江戸時代には「須留女」、近年にいたっては「寿留女」と当て字されて結納にも用いられます12

ちなみに、「家庭の魚料理調査」で、正月に限らず「祝い事に用いる魚」を訪ねたところ、単独の魚種として名前があがったものは、鯛が他を圧して一位、以下は鮪、鮭、海老、烏賊、鰤が上位を占めています。この結果からは、現代においては正月も祝い事のひとつとしてとらえられており、縁起がよいとされる魚を好んで食する傾向にあることがわかります。

祝いの魚(正月を除く)
魚介類名件数
タイ1475
マグロ555
サケ340
エビ310
イカ287
ブリ189
ウナギ122
サバ117
アジ91

「家庭の魚料理調査」より、正月・祝い・普段に食べている魚介類(抜粋)

ところで、日本の食文化には、基本的な生活様式のひとつとして土地ごとに伝えられてきた地産地消型の台所文化がある一方で、形式を重んじ、研鑽と洗練を繰り返しながら発展してきた料理人の手による外食文化という二極が存在します。後者は、一般に日本料理とよばれ、その食材として、やはり魚介が重要な位置を占めています。日本料理の基礎が確立したのは室町時代以降のこととされますが、祝い事の食文化においては、この日本料理の影響が大きく、たとえば正式の饗膳として武家社会で定型化した本膳料理とよばれる料理の形式は、江戸時代になると庶民社会にも浸透し、地方の農山漁村の婚礼などでも饗膳として定着します。今日の会席料理はこの本膳料理を継承したもので、あらたまった席での日本料理の形式として、わたしたちの生活に深く浸透しているのです。正月の行事食である「おせち料理」も、正月節会料理の略であり、雑煮・祝い膳・組重をセットとする料理の形式が、江戸時代の武家や商家で定着していたようです。これが庶民にも浸透し、さらに地方ごとの年とり魚などの風習が合わさって、それぞれの地域に特徴的な正月料理が形成されたと考えることができます。

縁起物としての鯛

にらみ鯛
にらみ鯛

祝い魚の代表格である鯛も、江戸時代の『本朝食鑑』で「我が国の鱗中(ぎょるい)の長である」と称賛されたのをはじめ、将軍や大名家の食膳、祝い膳、祭りの供物などに用いられてきました。しかし庶民社会への定着という点を考えると、これに大きな影響を及ぼしたのは、明治初期のいわゆる「明治祭式」とよばれる制度にあると思われます。明治初年に政府による神仏分離令が制定されたのに伴い、明治6年(1873)から明治8年にかけて、全国の神社祭式が統一的に制定されました。その中には神饌も含まれており、鯛を神饌とすることが明記されているのです13。これにより、海から離れた地方の小社であっても、神前に鯛を供えることが一般化しました。もちろん、地域によっては、鯛に限らずその土地でとれた魚を神饌とする習慣を残しているところもあります。が、共同体の要ともいえる神社の祝い魚が鯛に統一されたということの意味は、当然ながら大きかったといわざるを得ないでしょう。

このように、鯛をはじめとする一般的な祝い魚が、制度や形式の統一化による庶民文化への浸透とすれば、年とり魚は、その地域本来の素朴な食文化に根ざした土着の文化と考えられます。実際に、先のアンケート結果を見ても、正月には一般的なめでたい魚ばかりが食されているとは限りません。鯉、鰰、エイ、鯨、鮫など、数としては少なくても、地方色を強く感じさせる魚が多種類出現しています。

魚食の地域性

そもそも年とり魚として魚が珍重されていた頃には、鮭と鰤という2大魚種はあるものの、その土地に近いところで獲られた魚を食べるのが基本であり、鱈、鰯、鰺、身欠き鰊など、地域によって食べる魚もさまざまでした14。一見、祝い魚を中心に標準化したように見えても、その土地で手に入れられるものを感謝していただくという基本的な心情が、現代でも生きていると言えるのです。

※12.松下幸子『祝いの食文化』東京美術、1991年、p.2-29

※13.神崎宣武「神饌考①生饌」『VESTA』 No5、味の素食の文化センター、1990年10月

※14.(社)農山漁村文化協会編『聞き書ふるさとの家庭料理 20 日本の正月料理』農山漁村文化協会、2003年、p.262-265