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日本の食文化としてのおせち料理の歴史や成り立ち、地域性に注目しながら、「家庭の魚料理調査」「お正月首都圏調査」「我が家のお正月食卓写真募集」「お正月に関するアンケート調査」4種類の調査結果に基づいて、“正月と魚食”をテーマに構成しました。
行商などの交易伝承や、庶民の信仰の旅などについて、民俗学の視点から研究をなさっている山本志乃さんに、調査の分析と解説をお願いしました。
  • お正月とおせち料理
  • 年とり魚の変遷と正月の魚食文化
  • 現代の正月
  • 縁起物としての魚
  • 最も大衆化した魚料理-かまぼこ-
  • 正月の魚の現代的な意義

お正月とおせち料理

正月の食卓は家族のコミュニケーションの場

紀文食品が2008年までの16年間にわたり募集していた「我が家のお正月食卓写真募集」は、現代の日本の豊かな食卓をあますところなく伝えてくれます。

「わが家のお正月食卓写真募集」より、応募いただいた家庭のお正月料理の写真

これまでに集まった応募写真は5,000件以上。テーブルにところ狭しと並べられた自慢のおせちの数々を見ると、家族や親戚が集まっての賑やかな正月風景が想像できます。実際に、紀文食品による首都圏の主婦を対象としたアンケート調査1でも、正月を自宅で祝う人が70.5%、そのうち子どもや親を呼ぶという人が46%と半数近くを占めています。個食や孤食が問題視される今日、正月は、人と人の絆を深める共食の文化を伝える貴重な機会であるともいえるでしょう。

■12月31日におせち料理を食べた人の
 都道府県別喫食率
都道府県名% 都道府県名 %
北海道 57.8 青森県 77.8
岩手県 34.1 宮城県 28.8
秋田県 51.9 山形県 30.6
福島県 25.9 茨城県 9.4
栃木県 13.6 群馬県 21.1
埼玉県 19.5 千葉県 22.7
東京都 15.9 神奈川県 12.7
新潟県 48.2 富山県 15.3
石川県 26.5 福井県 24.1
山梨県 19.0 長野県 36.4
岐阜県 21.4 静岡県 19.8
愛知県 19.5 三重県 25.0
滋賀県 14.8 京都府 7.0
大阪府 10.6 兵庫県 9.7
奈良県 5.2 和歌山県 10.0
鳥取県 32.7 島根県 25.8
岡山県 19.8 広島県 15.3
山口県 24.6 徳島県 17.7
香川県 17.9 愛媛県 22.8
高知県 17.2 福岡県 22.2
佐賀県 11.8 長崎県 16.7
熊本県 10.0 大分県 44.8
宮崎県 31.1 鹿児島県 24.1
沖縄県 4.7    
お正月に関するアンケート調査(全国)

正月三が日を中心に用意されるごちそうは、本来は、年とりの膳として大晦日にいただくものでした。餅も暮れの30日までについたものを神前に供えておき、それを大晦日にいただくのです。明治6(1873)年に改暦となる以前、日本の古来の暦は、月の満ち欠けを基準に太陽の動きを組み合わせた太陰太陽暦でした。この太陰太陽暦では日没後を一日の始まりと考えるため、正月も、朔日、すなわち初めての月の出をもって新年のスタートとしたわけです2

夜の闇は、来訪する歳神(としがみ)様を迎えるにも都合がよく、年越しはすなわち、身を清めて夜籠りをし、正月の神様を粛々と迎えるのが本来の姿であったということになります3

近年になっても地域によっては、正月には普段台所に立つ女性も炊事に従事せず、一家の主人が若水を汲み、三が日の食事を作るという、潔斎の意味合いを持った習慣を残しているところもあります。火や竈などの炊事道具の使用そのものを慎む習慣もあり、そのため、年とり膳の品々を重箱などに作り置きする必要がありました。現在おせち料理とよばれるごちそうは、多くがこの作り置き分を指しているのです4

歳神様を迎えるための歳徳棚(としとくだな)という神棚を特別にこしらえるところもありました。こうした年越しの場では、もちろん家族の成員が一同に会しますが、家族同士の共食よりも、神様と人間とが共に食する「神人共食」の観念が強く関係しています。正月の神様をお迎えし、その神様に供えたごちそうをいただくことによって、一年を息災に過ごすエネルギーをいただこうという古来の考え方に根ざしているのです。

祝い箸

おせち料理が祝いの食として重視される現代

改暦以前にさかのぼるこうした習慣は、とくに戦後の高度経済成長期をはさんで次第に薄れ、都市生活者のライフスタイルにあった形へと変わっていきました。現在でも、たとえば北海道や東北地方の一部などでは、年とり膳の習慣を伝えている地域もありますが、全体としては、農村部にあっても、都会で暮らす子供たちの帰省にあわせて、年とりの膳よりも三が日をにぎやかに祝うことに重点が置かれるようになりました。

このような変化の背景には、食べ物そのものに対する考え方の変化も関係しています。かつて年とりの膳を祝っていた時代には、食べ物を得ることへの素朴な感謝がその根底にありました。とりわけ、年とり膳のごちそうといえば、「年とり魚」と称される魚でした。輸送が容易ではなかった時代にあって、魚は、この時にしか食べることができない貴重な食材だったのです。大阪府八尾市の大正2(1913)年生まれの女性も、「野菜類が主なおかず。今食べているような魚やおつくりなどは、お盆や正月の時しか食べなかった」と言っています5

さまざまな食材にあふれ、普通に生活していれば餓えることなどほとんどなくなった現代の日本では、こうした感覚も無縁になりつつあります。しかし、紀文食品による先述のアンケート調査によれば、正月にいわゆる「おせち料理」を食べると答えた人は大多数に及び、ほとんどの日本人が共通して食する習慣を持ち続けている行事食であることには間違いありません。だからこそ、正月の食卓がもつ本来の意味を考えることは、日本文化を考えることでもあり、わたしたちをとりまく食のあり方を見つめなおす機会にもなるのではないでしょうか。

そこで以下では、とくに「年とり魚」の変遷に注目して、日本人と正月の食文化を再考してみたいと思います。

1. 69歳以下の一般世帯の主婦を対象とするサンプル調査。2010~2011年実施。
2. 宮田登『正月とハレの日の民俗学』大和書房、1997年、p.62
3. 神崎宣武『神さま仏さまご先祖さま』小学館、1995年、p.70
4. 野本寛一編『食の民俗事典』柊風舎、2011年、p.447
5. 国立民族学博物館編、『国立民族学博物館研究報告別冊16号 現代日本における家庭と食卓』1991年、p.423