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お正月のいわれ

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お正月のいわれ文庫

日本人のしきたりと正月

飯倉晴武先生は、長年にわたり、宮内庁書陵部において皇室関係の文書や資料などの管理と編修を行う首席研究官として務められました。日本の公式な伝統行事研究の第一人者で、ベストセラー「日本人のしきたり」の編著者でもある先生に、「正月」のしきたりについてお聞きしました。

日本人のしきたりと正月 作家 飯倉晴武

作家 飯倉晴武(いいくら はるたけ)

1年の節目として、日本人は正月をとても大切にしてきました。正月に各家に降臨するとされる年神様にその年の幸運を授けてもらうため、さまざまな習慣が生まれ定着しました。飯倉先生へのインタビューで今も伝わる正月行事のルーツを紐解きます。

年神様とおせち料理について −おせち料理文化の継承のために−

今後、おせち料理文化を継承していくためには、何を大切にしていけばいいのでしょうか。
江戸時代に料理文化として花開いたおせち料理が、今は極致に達したような気がします。おせち料理が作られるようになったのは、魚の練り物が発達して、長持ちさせるという技術が発達してからです。料理の種類も増やすことができました。 魚は昔から神にも捧げるくらいですが、生ものですから保存の問題があります。 私の母親は深川の生まれで、暮れには必ずシャケを買っておいて、元旦の夜、「お腹の空いた者がいたらシャケを焼いて食べな」といって、勝手に食べさせていました。または鯛を買っておいて、それを正月の夜食のおかずにしていました。鯛は腐っても鯛というくらいですから、なかなか味が落ちません。魚はやはり大事です。 僕は仙台にいますから、特に「魚がおいしい」と思います。肉は味付けをしなければ食べられないけれど、魚は、魚自体に味があって美味しいですからね。 おせち料理は、日本料理を中心に考えているので、見た目にも和風ですね。今は肉類を入れたオードブルのようなものもありますが、本来、洋風なものはおせち料理にはありません。
なるほど。では、今後「このようなことをしては?」というアドバイスがありましたらお願いします。
紅白の蒲鉾、これは日本人の考えた料理の最高のものだと思います。紅白というのはおめでたい色彩だし、それが蒲鉾に使われています。蒲鉾というのはちょっと塩味があって、他の味はつけなくていいわけです。だから「これが料理の原点であり、ここから発達させるものはないか」ということを考えるべきだと思います。
蒲鉾を作っている紀文としては、大事にしなければいけない原点ですね。ありがとうございます。

正月行事と日本人の心

では、「日本人にとって正月とは」なんでしょう。
本当は、昨日までと変わらない一日なのですが、新しい年だという考え方を持つことが正月です。 年の始めには、誰にでも「今年はあれをやろう、これをやろう」という予定があります。それは自分一人ではできません。普段はなかなかいえないけれど、正月だからこそ、年神様というものを意識して、新しい年もいろいろな予定を守ってくださるようにお願いします。そういう大事な日です。だから、身を清めるのです。 元旦に食事をするというのは、神様においでいただいて一緒に食事をして、一年の安全をお祈りする、そういう気持ちでありたいと思います。この時食べるのがおせち料理です。別に特別に作ったのがおせち料理ではありません。「節分」といいますね。冬から春になる時、旧年から新年になる時、その時に食べる料理が節分のおせち料理になります。そして、その料理は神様と一緒に食べるものだということです。正月は、神様を普段以上に意識する時でもあるわけです。正月というのはそういうものだと思います。
最後に、先生のお書きになった『日本人のしきたり』を拝読いたしましたが、「日本人にとってしきたりとは」なんでしょうか。
しきたりというのは、昨日今日、急に作られるものではなく、日本人ならば日本人の長い間の生活から、それも個人の生活ではなく、集団の生活の中から作られる礼儀作法などの風習です。これは、生活をスムーズに行っていくためのものですから、もっと大事にしたいものです。 例えば、道を歩くのも今は「人は右、車は左」と法律で決まっていますが、どちら側を歩くか、ぶつからないように自然に生まれた法則、それがしきたりになるのです。 休日も、今はカレンダーで休日が決まっていますが、本来日本人は農耕民族です。集団で農作業し、田植えから稲刈りから一緒にやり、休みは「農休み」といってきちんと決められているのです。みんなが一緒に休んで疲れをとって明日からまた働けるように、農休みの日はきちんと休まなければいけません。農休みもしきたりになります。みんなが休んでいるのに、一人自分の畑で作業するというのは、翌日はみんなが出てきても、その人だけがくたびれてしまうかもしれません。制裁を受けるわけです。だから、みんなが休む時は自分も休むのです。そういう意味からすると、しきたりとは自然にできたもので、みんなが大事にすべきものだと思います。
しきたりに従って人々が行動するとか、何かを一緒にやるというのは、人間関係を円滑にするものなのですね。
そうです。今、盛んに「江戸ぶるまい」ということが話題になっています。混雑しているような中で争いにならないように、お互い行動を円滑にする、それが「江戸ぶるまい」です。江戸のような混雑しているところでは、武士もいばって歩くというようなことは野暮の骨頂といわれます。武士でも小さくなって歩くということが江戸ぶるまいで、これも自然にできた共同生活のしかたですね。 しきたりというのは自然に生まれたものだからこそ大切にしていかなくてはいけません。一人で反抗しても反抗できるものではないのです。本当の意味での民主主義かもしれません。
そこにはみんなを思いやる気持ちも込められているわけですね。ありがとうございました。

飯倉晴武(いいくら はるたけ)

1933年東京生まれ。東北大学大学院修士課程修了。宮内庁書陵部首席研究官、同陵墓調査官等を歴任。 奥羽大学文学部教授、日本大学文理学部等講師を経て、現在は著述に専念 。 著書に『日本古文書学提要』上・下刊(共著、大原新生社)、『天皇文書の読み方、調べ方』(雄山閣出版)、『古文書入門ハンドブック』(吉川弘文館)、『地獄を二度も見た天皇-光厳院』(吉川弘文館)、「日本人のしきたり」(青春出版社)、「日本人 数のしきたり」(青春出版社)等、多数。