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お正月のいわれ

お正月のいわれ
お正月のいわれ文庫

日本人のしきたりと正月

飯倉晴武先生は、長年にわたり、宮内庁書陵部において皇室関係の文書や資料などの管理と編修を行う首席研究官として務められました。日本の公式な伝統行事研究の第一人者で、ベストセラー「日本人のしきたり」の編著者でもある先生に、「正月」のしきたりについてお聞きしました。

日本人のしきたりと正月 作家 飯倉晴武

作家 飯倉晴武(いいくら はるたけ)

1年の節目として、日本人は正月をとても大切にしてきました。正月に各家に降臨するとされる年神様にその年の幸運を授けてもらうため、さまざまな習慣が生まれ定着しました。飯倉先生へのインタビューで今も伝わる正月行事のルーツを紐解きます。

正月の伝統的な習慣・いわれについて −初詣、書き初め−

初詣という習慣は、いつ頃からあるのですか。
初詣は江戸時代頃からです。いろいろな行事は室町時代に始まり、定着したのは江戸時代です。それ以前は農耕民族ですので、ちゃんとした神事は資料にもあまり出てこないのです。でも、一般の農民の胸中には神様にお祈りするという気持ちはあったはずですよ。神棚にお水をあげ、みんなで参拝するという形は室町以降、そして江戸時代で一般的に広がったわけです。
行く場所は、地元の神様であればどこでもよかったのでしょうか。
昔は村ごとに神社があって、氏神様がいました。そこへお参りして、今年一年お守りくださいと拝みます。それで終わっていいのです。交通機関も発達していないので、どんなに有名な神社でも簡単には行かれませんから、地元の氏神様にお参りします。それが初詣です。
最近ですと、明治神宮とか成田山とかにも行きますね。
伏見稲荷とかね。僕のいる仙台のほうですと塩釜神社などは参拝する人が相当多いようですね。そういうふうに有名な神社に行くようになったのは本当に最近で、戦後、昭和20年以降です。
書き初めというのは、日本独特の行事ですか。
そうです。文字を芸術として捉えるのは漢字文化の世界で、今は日本と中国くらいですが、字の上手な人は昔から尊ばれます。字を上手に書けるようになるために書き初めをやって書の神様に供え、それをどんと祭などに持って行って焼いてもらい、特に高く煙が上がったら上手になるとか、そのようないい伝えがあります。
書き初めにもそういった願いが込められているのですね。
これも宮中や公家の世界では行われていたと思うのですが、一般的な行事になるのは江戸時代末です。子どもたちが寺子屋に行って習字をやるようになってからで、正月に書き初めをするのは江戸時代の末期からです。庶民も字を書くことがたしなみのようになって、字がうまくなりたい、うまくならせたいという子や親の気持ちもあって、書き初めが定着していったのでしょう。

正月の伝統的な習慣・いわれについて −和歌と百人一首−

他に宮中独特の行事はあるのでしょうか。
歌会始ですね。和歌は日本人の誰でもが作れる叙情文学です。三十一文字という短い文章で一つの文学になるので、万葉集もあるように庶民でも作れるものです。
和歌というくらいですから、日本にしかないものですね。
そうです。和歌の発達が、仮名を発達させることになりました。漢字だけでは、日本語の一語一語を表現できません。初めは漢字の音だけを借りて和歌を作っていたので、漢字が並んでいても漢文ではなく、漢字の音だけを読んで和歌になる文章でした。それがだんだんと書きやすいように仮名に変化していくわけです。仮名が発達すると、ますます日本人が自分の気持ちをうまく込められるようになっていきます。そしてそれが源氏物語のような物語の世界に大成していったのです。
仮名が生まれていなかったら、日本文学も全く変わっていたということですね。
そうです。仮名が生まれて、日本人独特の和歌が作られるようになってから日本文学が発達したのです。歌会ではあらかじめ題を与えられて、その日のために和歌を作っておき、当日発表して批評を受ける、そうしていい作品が選ばれていくわけです。 百人一首も正月の遊びの一つとして挙げられますが、それを庶民はみんな暗記をしていました。あれは百人の有名人たちの有名な和歌を暗唱する機会になります。こういう和歌がいいのだよと教えられたのです。
そういう意味では、遊びを通して教養を身につけるために百人一首ができたのですね。
百人一首は藤原定家が作ったのだといわれていますが、鎌倉時代からそういうものがあります。平安時代の末になると、古今集だけではなく、いろいろな選集ができました。それを公家階級の人はみんな暗唱できるようにしていました。それで自分が何か作れといわれた時には、暗記しているものの中からいい歌を選んで、ちょっと内容を変えて発表していました。百人一首などの遊びで和歌を勉強する機会を作っていたわけです。だから、日本の遊びというのは、非常に教養的なこととつながっています。

飯倉晴武(いいくら はるたけ)

1933年東京生まれ。東北大学大学院修士課程修了。宮内庁書陵部首席研究官、同陵墓調査官等を歴任。 奥羽大学文学部教授、日本大学文理学部等講師を経て、現在は著述に専念 。 著書に『日本古文書学提要』上・下刊(共著、大原新生社)、『天皇文書の読み方、調べ方』(雄山閣出版)、『古文書入門ハンドブック』(吉川弘文館)、『地獄を二度も見た天皇-光厳院』(吉川弘文館)、「日本人のしきたり」(青春出版社)、「日本人 数のしきたり」(青春出版社)等、多数。