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紀文・アジア練りもの紀行 vol.2 台湾編

紀文・アジア練りもの紀行 vol.2 台湾編

 

フォイトーンという名前のお菓子が、タイにあります。「金の糸」というような意味で、文字通り、金色の糸を折り重ねたような美しいお菓子です。
市場の甘い物を売っている店などで普通に目にするものなのですけれど、初めて見た時(というのはすでに三十年以上前のことですが)、既視感がありました。どこかで、それ以前に見たことがあるようだと。

思い出したのが、鶏卵素麺。福岡の名物だと思っていましたが、調べてみると、大阪や京都の老舗でも、作っているところがあるようですね。

ともあれ、このお菓子、和菓子というよりも、南蛮菓子と呼ぶべきもののようです。安土桃山時代に南蛮、つまりポルトガルから伝来しました。ポルトガル語ではfios de ovos(卵の糸)と呼ばれるもので、ポルトガル人商人が出入りしていた長崎の平戸に伝来したのです。
それを日本人で最初に製造したのは松屋利右衛門。中国人の鄭という人物から伝授されたということです。利右衛門は1673年に博多に戻って松屋菓子舗を創業し、延宝年間に福岡藩主の黒田光之に鶏卵素麺を献上して御用菓子商となった……というように、詳細まで伝えられています。松屋も現在、十三代目となって、博多を中心に店舗展開しています。

森枝卓士
(もりえだ・たかし)
さん

森枝卓士さん
1955年、熊本県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。
著書に、「手で食べる?」(福音館書店)、「旅、ときどき厨房」(ポプラ社)「食べてはいけない!」(白水社)、「日本の『伝統』食」(角川SSコミュニケーションズ)など多数。

金の糸、つまり、タイのフォイトーンの方も、詳細な物語が少し調べると、出てきます。いわく、ターオ・トーンキープマー、あるいはマリー・ギマルドと呼ばれる日本とタイ、そしてポルトガルの血が混じる女性が紆余曲折の末、王宮の製菓担当となり、これをタイに伝えた。ただ、日本国内の話とは違い、タイのそれはオリジナルの資料がはっきりしないのですけれど。ともあれ、ポルトガルと日本とタイが結びつくお話であることだけは、間違いないようです。そのような形で食が伝えられているということです。
これでまた、一つ思い出したのが、焼酎や泡盛とタイの蒸留酒(ラオ・ロン)の関係。十五世紀初頭、タイから伝えられ、それが現在の泡盛に、また、本土に伝えられたものが焼酎となったと言われています。蒸留技術自体は中東から西へ東へ広がったことは間違いなく、また、泡盛の材料がタイ米であることも、そのあたりのお話の証左でありましょう。 飲食がそのような形でつながっていたということと、一カ国ずつお隣に伝播するということばかりでもないようだということです。

さて、本題。
大学出たての駆け出しの頃、カンボジア内戦等々ニュース取材のために、タイに数年、住んでいたのですが、その際、見聞きしたり、食べたりしたものから、食文化に興味を抱くようになったのですけれども、とにかく、その頃、鶏卵素麺同様に、既視感、デジャブを感じるような食べ物が他にもありました。

韓国では、屋台で様々な種類の練りもののスナックが売られているトートマン・プラー。あるいはトートマン・クンと言います。プラーは魚。クンはトムヤムクンのクンで、エビですね。で、トートマンはそのすり身なのです。すり身を油で揚げたもの。日本語で説明されるときは、たいてい、タイ風さつま揚げと書かれています。

お味の方も、まあ、タイの食文化のイメージそのままの、スパイシーなさつま揚げといったもの。そう書かずとも、すでに日本国内にいっぱいあるタイ料理のお店でも一般的なメニューです。
レシピを見たらお分かりの通り、赤カレーやグリーンカレーに用いる調味料やスパイスを、魚かエビのすり身と合わせて揚げています。ちょっと独特だなと思われるとしたら、こぶみかんの葉っぱを細く刻んだものを加えていることが多いから。トムヤムクンにもレモングラスと共に加えるハーブです。そのあたりの風味が香るさつま揚げのようなものだということ。 ともあれ、その歴史についてははっきりしません。さつま揚げの方は薩摩藩の時代、江戸時代の末頃のようですが、琉球、沖縄で一般的だったチギアギと呼ばれる揚げた練り物が伝わったもののようです。そして、その沖縄のチギアギ、つまり、つけ揚げは中国文化との関係の中で生まれたものと言われています。
さて、その関係はどのようなものなのでしょう。日本料理とタイ料理を始めとする東南アジアの料理には、いくつかの共通項があります。魚の発酵食品が存在し、そのアミノ酸等の旨みを好ましく思うというところもそうですし、炒め物、揚げ物という油脂を使った調理法があまりなかったということもそうです。その二つは実は関連していて、油脂が用いられない故に、「旨み」に敏感になる、その嗜好が発達する点もあるのですけれど(だから、魚醤やシオカラの類も好まれる)。 とにかく、日本では安土桃山の頃、南蛮渡来のテンプラあたりから、揚げ物が登場するわけで、それまでは唐菓子などほんの少しだけでした。豚の脂を調理に用いた中国と、植物油しか用いなかった日本の違いか。

 

屋台で売られている、竹串に刺さった韓国風の「おでん」。東南アジアも炒めたり、揚げたりの調理法は華僑の影響が強いようです。山田長政が活躍した時代は、先の混血女性の話にポルトガル人の血が混じることでも分かるように、南蛮の文化も入っています。
そのあたりの関連から、同じような練り物の揚げ物が発達した可能性も含めて、想像をたくましくしているのですが、どうでしょう。
この国では「さつま揚げ」以外にも練り物は豊富です。市場などで焼き鳥のように串焼きにしたり、あるいは串揚げにされているのが、ルークチン。つみれというか、肉団子というか、牛豚鶏など、あるいは魚で作られた団子で串刺しにして、油で揚げたり、焼いたりして食べる軽食です。そうそう、串刺しのバリエーションの中に魚肉ソーセージもあったので思ったのですけど、練り物の中で肉と魚という区分け自体、ここではあるものなのか。まあ、串刺しというつながりでいえば、日本の串揚げなども、特にその区別はありませんよね。あの感覚でどちらもあり、の世界だということです。 そういえば、この路上の,屋台の練り物、ルークチンも、もう少し上品というか、エアコンのきいたところといえば、「タイスキ」にもなくてはならぬものですね。
すでに日本でもずいぶんとお店が増えていますから、ご存じの向きが多いと思いますけど、タイ風すき焼き、略してタイスキ、であります。まあ、そのように呼ばれますけど、実際は中国の鍋の影響でありましょう。中央部に煙突がある鍋は、刷羊肉(シュワンヤンロウ)などのような中国のしゃぶしゃぶのそれから発したもののようです。食材はルークチンの類や海産物、野菜等々様々ですけれども、スープの中で煮て食べる、しゃぶしゃぶの仲間でしょう。坂本九の「上を向いて歩こう」が世界的にヒットした頃、流行りだしたとかで、あの曲の英語のタイトル、「スキヤキ」からその名を借用したのだとか。
この他、タイのラーメンというか、スープ麺というか、クイティオの具でも、ルークチンの類が一般的です。煮た物、揚げた物、肉のそれと魚介のそれがたっぷりと、というのがタイスタイル。チャーシュー麺のように特別なものを頼んだ訳でもないのに、麺が見えないくらいたっぷりの具で、しかも安いことに驚いたりしたものでしたが、練り物がそれに貢献しているのか。
ともあれ。タイ人は皆、多かれ少なかれ、練り物を毎日、口にしているといってもオーバーではない、そう思われるほどの練り物の国がタイであります。その意味でも日本と共通するといえるでしょうか。

森枝卓士
(もりえだ・たかし)
さん

ワット・キム・イエンさん11955年、熊本県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。
著書に、「手で食べる?」(福音館書店)、「旅、ときどき厨房」(ポプラ社)「食べてはいけない!」(白水社)、「日本の『伝統』食」(角川SSコミュニケーションズ)など多数。