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紀文・アジア練りもの紀行 vol.2 台湾編

紀文・アジア練りもの紀行 vol.2 台湾編

 

「刺身丼」と日本語で書かれたメニューがありました。ソウルの日食(いるしく)と呼ばれる日本料理屋で。
ちらし寿司とは御飯が違うのか、それとも、他になにか特別なところがあるのかという好奇心から、それを注文しました。と、これがお刺身の盛り合わせをそのまま丼の御飯に載せたようなものでした。ただ、一つだけ違っていたのが、上にコチュジャンベースのまっ赤なたれがかかっていたこと。そして、それを、そうあのビビンバのように、よくよくかき混ぜて食べるということ。
彼我の文化の違いに唸りつつも、言われたとおりに混ぜていると、一緒にいた韓国人の友人から、強烈な一言。
「日本が懐かしくなるでしょう?」 その話を日本に留学経験のある友人にしました。すると、別の意味で強烈な一言が。
「やっと、私が日本でどういう気持ちだったか、分かってもらえましたか?」
二十数年前のことですが、日韓の文化の違いという話になると、昨日のことのように思い出します。といっても、何のことかお分かりいただけないか。

森枝卓士
(もりえだ・たかし)
さん

森枝卓士さん
1955年、熊本県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。
著書に、「手で食べる?」(福音館書店)、「旅、ときどき厨房」(ポプラ社)「食べてはいけない!」(白水社)、「日本の『伝統』食」(角川SSコミュニケーションズ)など多数。

日本で韓国式焼き肉というお店の料理は、かなりの部分、日本式にアレンジしたものでした。今では焼き肉のお店もずいぶんと変わったので、そして、日本でも市販のキムチなど本格的な味の物が普通になってきたので、余計にややこしいのですけど、焼き肉ひとつとっても、基本的にはずいぶんと違うものなのです。ロースもカルビもモツも一緒に焼くなんていうもの、ありませんでした。焼き肉が家族で楽しみに行くものに変化する大きな要因となったと思うのですが、あの煙を吸い込むロースターのシステム、あれも日本で始まったものです。そんな日本の「韓国式焼き肉」の店に連れて行かれて、「懐かしいでしょう?」と言われるという経験を、日本に留学していた友人はさんざんしたのだということなのです。私の刺身丼同様、初めての新奇な味だったりするのに……。 とどのつまり、日本式韓国料理が存在するように、その日食などで食べられる料理は、韓国風日本料理とでもいうべき変容をとげているということなのです。 たとえば、韓国海苔。あのゴマ油の風味をつけた海苔ですが、海苔自体は大昔から食べられていたとはいえ、板海苔に加工する方法は日本から伝わったようです。が、それをあのような韓国スタイルにした、というわけです。海苔巻きも同じです。寿司飯ではなく、ふつうの御飯をゴマ油風味の海苔で巻いた、韓国式海苔巻きへの変容。それがまた、日本に受け入れられたりという複雑な関係。 それを、お互い、あまりにも近いために却って誤解していたり、気付かないままでいたりしているというようなことです。韓国人は古い文化であれば、すべからく韓国から日本へ伝えたのだと思いがちであったり、日本人は逆に……というようなこと。 本当は近いところだからこそ、様々な行き来があるために、詳細な分析というか、認識がないとアブナイ。誤解の再生産をしがちなのですけど。

ともあれ。前振りが長すぎました。 海鮮烏龍を久しぶりに思い出したのは、お話のテーマのひとつ、「甜不辣」のことがあるからでした。もう、だいたいご想像がつくと思われますが、そう、ティエンプラーといったような音で、テンプラであります。ただし、うどんをうろんというのと同じくらい、お話に捻りが効いているのが、これ、天麩羅ではなく、さつま揚であること。つまり、練りものを揚げたものであります。  まあ、私たち、九州人には何の驚きもなく、コショウといえば、トウガラシの場合もあり、胡椒のこともあるのと同様(九州ではそうなのです。だから、トウガラシでも柚子胡椒なのです)、テンプラといえば、天麩羅の場合もあれば、さつま揚(と他所の地域では呼んでいるもの)であることもある。そんな関係です。

韓国では、屋台で様々な種類の練りもののスナックが売られているともあれ。本題の練りもののお話です。 魚の話の前に、朝鮮半島には「ムッ」と呼ばれる食べ物があります。ドングリ、蕎麦、緑豆など挽いて、水にさらして取れた沈殿物を煮て冷ました食べ物です。ドングリのムッがトトッリムッという具合で、寒天のような状態になったものです。 豆腐は同じ字でドゥブですけれど(お馴染みになった純豆腐=スンドゥブでお分かりの通り)、昔の文献では「緑豆腐(=ムッ)」というような記述も見られます。まあ、そのような寒天やら豆腐やらのような、固まってはいるけれど、軟らかい状態の食べ物という感じでありましょう。あるいは原材料のもとの姿をとどめないもの。
で、そのムッの仲間として、オムッというものがあります。オは魚。魚のムッというわけです。あるいは別名で、李氏朝鮮の時代の文献(『(そうぶんじせつ)』)に、可麻甫串と書かれています。今では、さほど一般的ではないようですが、そのような呼び方もあります。そう、カマボコッと読みます。蒲鉾の韓国語音だと容易に想像がつくでしょう。
韓国の食文化研究の先達にして権威であった李盛雨はその著書、『韓国料理文化史』(李盛雨著、鄭大聲・佐々木直子訳 平凡社)の中で、そのカマボコッ=魚のムッは日本から伝えられたものだというようなことを書いています。江戸時代のことですが、朝鮮通信使が接待された記録の中に蒲鉾の記述があると。本膳に蒲鉾と大根とサヨリの膾、ついでに焼き豆腐と大根、里芋、ゴボウにつみれが入った汁等と記されていて、「ここから蒲鉾が通信使を通じて伝えられたことがわかる」と書いています。

日本の蒲鉾は魚の身をすりつぶしたものをそのまま、あるいは着色して蒸したものである。ときには昆布などに巻いて蒸すこともある。『謏聞事說』では、日本の蒲鉾の製法そのままというわけではないが、手を加えて、名前はそのまま「可麻甫串」と称している、というのです。もともと、魚をすり潰すという調理法が、朝鮮半島には存在していなかったようだとも書いています。魚を薄くスライスしたものに、みじん切りにした様々な具をはさみ、層にして巻いて茹でた料理は見つかったが、すり身にするというものはないと。 そして、それ以降のより深い関係の中で、魚のすり身は定着し、それを揚げたさつま揚げのようなものも一般化していきました。おでんという言葉も定着します。

屋台で売られている、竹串に刺さった韓国風の「おでん」。いまでは、「おでん」は言葉の内容もすっかり定着しています。オムッ=練り製品もスーパーでたくさん売っていますが、日本ほど、種類は多くない。平べったい、手のひら二つ分くらいの大きさのものが一般的で、長い竹串に、これをぐにゅぐにゅと曲げて刺して、おでんのつゆの中に入ったもの、これを露店で、1~2本ほおばるのが、冬の風物詩でもあります。
寒い夜、制服姿の学生たちや、勤め帰りのサラリーマンが露店でこの竹串のおでんを食べています。店のおばちゃんが、紙コップにあつあつの汁を注いでくれて、それを飲みながら……。醤油をちょっとつける人もいます。
またこの平べったい練りものを細長く切って、醤油と砂糖で味付けしたものを海苔巻き(キムパップ)の中にも入れますね。あるいは、家庭でこの練りものを短冊状に切って、タマネギやにんじん、青唐辛子などと一緒に炒めたおかずも良く作ります。食堂でも、よく出てきますよと、韓国人と結婚して、あちらに住んでいる友人からのメール。普通に食べられているよねって確認のために送った私のメールへの返信。

そうそう。ちょうど、たこ焼きなどつまむような感覚で食べていたなあと思い出しました。あるいは屋台の酒の肴。懐かしいと思いつつ、少しだけ新鮮な味わい。
歴史認識等々の問題で、ややこしいことも多い両国ですけれど、こと食に関しては、意外なほど素直に受け入れあっているような印象も持ちます。意識しないままに。
だからこそ、お隣さんの食は面白くも興味深いのかもしれません。

森枝卓士
(もりえだ・たかし)
さん

ワット・キム・イエンさん11955年、熊本県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。
著書に、「手で食べる?」(福音館書店)、「旅、ときどき厨房」(ポプラ社)「食べてはいけない!」(白水社)、「日本の『伝統』食」(角川SSコミュニケーションズ)など多数。