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紀文・アジア練りもの紀行 vol.2 台湾編

紀文・アジア練りもの紀行 vol.2 台湾編

 

海鮮烏龍。
台湾の食堂のような店で、壁にずらりと並んだメニューの中に、そんな文字がありました。何のことかお分かりでしょうか。
海鮮は、まあ、いいですよね。これはシーフードが入っているということは、誰でも分かるでしょう。問題は烏龍。烏龍茶(ウーロンチャ)だから、ウーロンと読むことは想像がつくものの、さて、烏龍茶で味付けした(煮込んだ?)何かか、あるいは烏のように黒くて、龍の爪のように捻れている(ということで、烏龍茶というのですけど)何かか、と考えたり。えーい、ものは試しと頼んでみると、烏龍はうどん。きつねうどんをけつねうろんという、関西弁のようなものでありました。
日本語と中国語の関係では、そのままの漢字が移入され、それぞれの発音で呼ばれるということも、音を受け入れて当て字ということもままありますが、これは後者だったというわけです。
それにしても、不思議な感慨。だって、そうでしょう。うどんは元々、中国大陸から伝えられた麺食ですもの。

森枝卓士
(もりえだ・たかし)
さん

森枝卓士さん
1955年、熊本県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。
著書に、「手で食べる?」(福音館書店)、「旅、ときどき厨房」(ポプラ社)「食べてはいけない!」(白水社)、「日本の『伝統』食」(角川SSコミュニケーションズ)など多数。

餛飩(コントン)、あるいは餫飩(ウントン、コントン)などと書いていたものが、同じ音の温飩、饂飩となったといいます。とにかく、もとの意味はワンタンみたいなものだったり、麦縄、つまり唐菓子のようなものだったりとややこしいのですけど、中国から伝来した粉食であります。日本で発達した部分もあるとはいえ、そして、戦前の日本の植民地時代があった土地だからとはいえ、それがそのような名前で中国文化圏に「里帰り」しているのですから。
まあ、改めて考えてみると、中国の湯麺が、日本式アレンジを経て、ラーメンとなり、あるいはそこから派生したインスタントラーメンが台湾や中国本土でも受け入れられて、当たり前の存在となっているのですから、うどんが烏龍となっても、不思議はないのでしょうか。 そうそう。そのお味。概して台湾でより一般的な牛肉麺(ニュウロウミェン)や台南担仔麺(タイナンターミー)あたりと比べると、麺は太めでこしがなく、あっさりめのスープ。そして、このお話の主役、練りものがのっていたり(あるいはエビのテンプラだったり)で、なるほど海鮮烏龍かというわけ。

ともあれ。前振りが長すぎました。 海鮮烏龍を久しぶりに思い出したのは、お話のテーマのひとつ、「甜不辣」のことがあるからでした。もう、だいたいご想像がつくと思われますが、そう、ティエンプラーといったような音で、テンプラであります。ただし、うどんをうろんというのと同じくらい、お話に捻りが効いているのが、これ、天麩羅ではなく、さつま揚であること。つまり、練りものを揚げたものであります。  まあ、私たち、九州人には何の驚きもなく、コショウといえば、トウガラシの場合もあり、胡椒のこともあるのと同様(九州ではそうなのです。だから、トウガラシでも柚子胡椒なのです)、テンプラといえば、天麩羅の場合もあれば、さつま揚(と他所の地域では呼んでいるもの)であることもある。そんな関係です。

ニョクマム工場のようす 撮影/森枝卓士台湾には甜不辣と呼ぶ練りもの、及び、それをおでんのように煮込んだもの(これも含めて甜不辣と呼んだり)がある、ふつうに食べられているということです。あるいは、このおでんのようなもの、関東煮とも呼ばれています。そう、関西風の呼び方と同じであります。コンビニのレジ脇に関東煮と書かれて湯気が出ているのを見たりすると、さて、どこに私はいるのだろうと思ってしまうほど。
まあ、さつま揚、あるいは竹輪みたいなものや大根などと一緒に、豚の血をもち米と共に固めた(チューシュエカオ)が入っていたりで、異文化を感じたりもしますけど。とりあえず、そのお味、「甜不辣」、つまり、甘い、辛くはないという意味であるくらいですから、日本の、特に関東のおでんなど食べ慣れた層には甘く感じるおでんでしょうか。
比較的甘い味が好まれる九州の感覚では、豚の血は別にして、違和感はさほどないかなと思われる程度のもの。日本人にも、ふつうに美味しく食べられるはず。まあ、もとが日本のおでんだから、それがどう受け入れられ、変化したのかとラーメンのことやら考えつつ、食べたら、余計に興味深く面白く食べられると思われますが。

この他、ぱっと思いつく練りものとしては、これは日本とはまったく関係ないものだと思うのですけど、まるでハンペンのような食感で、しかし、団子状に丸めた魚のすり身を茹でるなり、煮るなりした魚丸もあります。湯麺のようなスープに浮かんでいて、魚のすり身の中に豚の挽肉の餡が入っていたりします。そういえば、豚や牛など肉のすり身の団子みたいなものもいっぱいありますね。むしろ、魚に限ったものではないと思った方がいいくらい。

市場でも、魚はたくさん売られている 撮影/森枝卓士そうそう。そういえば、肉でも魚でもなく、素食や素菜と呼ぶ、精進料理の練りものもあれこれあります。「素食」という看板もあちこちにあり、精進料理も盛んです。仏教のそれから発して、現代的には肉の食べ過ぎに対する反省みたいなものから、ダイエット食として、特に受け入れられているように見受けられます。で、小麦の中に含まれるグルテンを使ったり、あるいは大豆などを用いて作る練りもののものもスーパーなどで普通に売られていたりします。けっこう、美味しいものがあります。
練りものも含めた台湾の食文化の奥深さ、興味深さはその歴史によるものだと思われます。かつて日本人が高砂族と呼んだ先住民は、アミ族など東南アジア方面につながる人々です。様々な民族が今もいますが、その先住民の土地に中国大陸から人々が渡ってきたのは十七世紀のことでした。
それが、特に対岸の福建省から移り住む人々で、以来、台湾は漢族の世界に組み込まれます。福建も海辺の地域ですから、当然、海産物を食べる術を豊富に持ち合わせている食文化です。沖縄や長崎のチャンプルやチャンポンのような料理は、福建との関係によるものです。沖縄も長崎も、もともと、中国といえば、福建との関係であったということです。そして、台湾の食文化のもとも福建から渡って来た人々が作り上げているということです。
そして、日本の植民地時代を経て、太平洋戦争終結後。蒋介石の国民党と毛沢東の共産党の対立で、敗れた国民党が台湾に渡り、つまりは中国全土、さまざまな地域の人々がやって来て住み着きます。
戦前から台湾にいた人々を本省人、戦後やってきた人々を外省人と呼びますが、そういうわけで、小さい島ながら、中国各地の食の文化が混在しているということなのです。
本省人と呼ばれる人々の中にも、先住民や福建(閔南(ミンナン))人、それに客家(ハッカ)と呼ばれる特別なグループもいます。それぞれの食の文化があります。その上に、それを越える中国各地の食の文化が入り込み、混在したり、混じりあったりするようになった、ということなのです。
また、そのような歴史ゆえに、その混在のゆえに、日本の食文化の受容にも寛大であったということなのです。
そして、そのような混在と寛容の文化の中で経済発展を遂げたからこそ、食文化の点から見ても、非常に興味深い豊かな世界が出来上がってるということなのです。
その中に、烏龍も甜不辣もある、ということなのです。

森枝卓士
(もりえだ・たかし)
さん

ワット・キム・イエンさん11955年、熊本県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。
著書に、「手で食べる?」(福音館書店)、「旅、ときどき厨房」(ポプラ社)「食べてはいけない!」(白水社)、「日本の『伝統』食」(角川SSコミュニケーションズ)など多数。