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紀文・アジア練りもの紀行 vol.1 ベトナム編

紀文・アジア練りもの紀行 vol.1 ベトナム編

 

初めて、ベトナム式の「竹輪」を食べた時は、ちょっとした衝撃でした。30 年ほど前のことですが、鮮烈に覚えています。
竹にすり身をつけて焼くという日本のそれも、焼きたての芳かぐわしい竹の香りなど思い出しつつ、素晴らしい知恵だと思います。 そして、ベトナムでは、サトウキビを使って作っているというわけなのです。海老のすり身が多いようですが、すり身にサトウキビの甘みが自然とついているおもしろさ。
日本の竹輪はご存じのように、そのまま食べられるだけでなく、おでんの具になったり、きゅうりやわさび漬けやら、あれこれの詰め物がされたり、天ぷらにされたりと食べ方にさまざまな工夫がされます。
ところで、ベトナムのそれはほとんど決まっています。定番のパターンがある。一口大に切り分け、好みのハーブともどもサニーレタスのような葉っぱに包み、ニョクマムをベースにしたたれにつけて、食べる。揚げ春巻などと同じような感じですが、とにかく、ヘルシーな美味で、いくらでも食べられる。

森枝卓士
(もりえだ・たかし)
さん

森枝卓士さん
1955年、熊本県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。
著書に、「手で食べる?」(福音館書店)、「旅、ときどき厨房」(ポプラ社)「食べてはいけない!」(白水社)、「日本の『伝統』食」(角川SSコミュニケーションズ)など多数。

魚をすり身にして食べるということだけでなく、それ以上に似たような発想。しかし、明らかに違うものの存在することに、文化の近しさと、とはいっても同じではないのだ、その違いを認識しつつ理解しなくてはいけないのだ、ということを実感したものでした。 少々、大げさかもしれませんが、日本では当時、まだ食べられなかった、ベトナム式竹輪を食べて、アジアの食文化の近しさと違いに興味を抱いてしまったのかもしれません。

ニョクマム工場のようす 撮影/森枝卓士すり身以前に、「アジアと魚」について、今回は特にベトナムの事例から述べたいと思います。
ベトナムの味といって、思い出すものといえばニョクマムでしょう。秋田の“しょっつる”、能登半島の“いしり”同様、魚を塩漬けにして作る「しょうゆ」です。あるいは、タイのナムプラ同様、「魚醤(ぎょしょう)」などと呼ばれるものです。食通としても知られる文豪、開高健は「ベトナム戦記」と言うルポを残しています。その本の始まりが、ニョクマムの話なのです。ベトナム人が強いのは、ニョクマムのおかげなのだと、いささか牽強付会(けんきょうふかい)の説まで展開していて、微苦笑させられるほど。
それ以降、ベトナムの食について書かれた本は、すべてといっていいほど、いかにニョクマムがベトナム人にとって、重要な調味料かと述べている、はずです。
それは誇張でもなく、日本人にとってのしょうゆのように重要な調味料だといえるでしょう。
ところが。興味深いことに、さほど古いものではないのです。200 年とさかのぼらない。ベトナムの長い歴史を考えると、昨日のような話であります。なぜか。
ひとつには、魚を塩漬けにして発酵させた食品、つまり、塩辛は古くから用いられていたのですけど、その液体部分だけを分離して調味料とするようになる、それが、新しいのだということ。ちょうど、日本で古来から豆醤(まめびしお)の名で、みそが使われていたのに対して、その液体部分からたまりが作られ、さらにしょうゆとなったのが、江戸時代に入るくらいの時期であることと同じような関係であるといえましょう。
それに加えて、もともとは内陸部に稲作の文明が発達したことが指摘できると思われます。海辺のデルタ地帯を開拓するのは大変なことでした。タイのバンコク、ミャンマーのヤンゴンも同じように、数百年しかさかのぼらないのですが、それ以前はもっと内陸部の盆地で、稲作がなされていたのです。

市場でも、魚はたくさん売られている 撮影/森枝卓士川から灌漑(かんがい)設備を作り、水を田に引き、稲作をする。すると、当然ながら、川から魚が入ってきます。稲が育つ環境は、魚にとって、鳥などの外敵から身を守りやすい場所であります。そこで育つ。
しかし、稲刈りの時期ともなると、水を落としてしまう。まとめて、魚が取れる……。一度に食べきれるようなものではないので、塩漬けにして、保存食品とする技術が発達しました。それが、塩辛の類だというわけです。というわけで、ベトナムを始めとする東南アジアの国々には、さまざまな塩辛があります。場所によっては、さらにそれをご飯と一緒に漬け込んだ馴鮓なれずしも作られ、今に至ってもいます。日本に今も残る鮒寿司のようなもので、寿司の原型です。
つまり、東南アジアで生まれた、そのような食の体系が、中国南部から稲作と共に、日本に伝わったものだと考えられるのです。
稲作と魚を食べることが、セットというか基本のコンビネーションになっているという食の体系であります。それだけ、ベトナムを始めとする東南アジアの人々は、「米と魚」という食の基本的な組み合わせに慣れ親しんで来たのだということです。
日本の場合、中国や朝鮮半島と共に、大豆という主食のパートナーもありました。水田や麦畑のあぜ道に植えられ、あぜ豆などと呼ばれていました。文字通りのセットでした。
東アジアではその豆も使っても、味噌のような調味料などが作られたということですが、熱帯に属する東南アジアの場合は、麹(こうじ)を使った豆も発酵は温度管理が難しかったりで、あまり広まりませんでした。
そのようなこともあって、余計に、魚が大事な役割を占めたというわけなのです。
デルタ地帯、沿岸部まで開発が進むようになると、海の魚介を用いての発酵食品作りも更に発達しました。大量に捕獲が可能ですから、自宅でほそぼそと作るものから、産業として作られるものとなっていきました。そのような流れの中で、現在のようなニョクマムのような調味料も生まれたのではないかということです。
そのような流れの中で、もともと魚に親しんできた人々が、さらに豊かな漁食ぎょしょくの文化を育てていったのではないか、ということです。
竹輪ならぬ、サトウキビ包みの練りものがいつ、生まれたのかまでは、残念ながら資料を見出せないのですけれども、おそらくは、そのような流れの中で生まれたものでないかと考えています。

森枝卓士
(もりえだ・たかし)
さん

ワット・キム・イエンさん11955年、熊本県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。
著書に、「手で食べる?」(福音館書店)、「旅、ときどき厨房」(ポプラ社)「食べてはいけない!」(白水社)、「日本の『伝統』食」(角川SSコミュニケーションズ)など多数。