HOME > 知る > 伝統食品教室 > 正月:日本のうつわと漆器

紀文アカデミー

  • おでん教室

  • 練りもの教室

  • 鍋教室

  • 伝統食品教室

  • 正月教室

  • 紀文ペディア

伝統食品教室

日本のうつわと漆器

  • 神崎 宣武先生(民俗学者)
    profile
神崎 宣武(かんざき・のりたけ)さん 神崎 宣武(かんざき・のりたけ)さん
1944年、岡山県生まれ。民俗学者。岡山県宇佐八幡神社宮司でもある。
主著に、『三三九度─日本的契約の民俗誌』、『「まつり」の食文化』、『酒の日本文化』、『大和屋物語―大阪ミナミの花街民俗史』、『社をもたない神々』、『神主と村の民俗誌』などがある。

四季の行事と結びついた日本の料理には、器・盛りつけなど凛としたその美しさに目をみはるものをものもあります。正月の行事料理であるおせち料理は、重箱という器との出会いで洗練され確固たるかたちになりました。 そんな漆器について、民俗学者の神崎宣武先生に教えていただきました。

日本の食器の原型

世界の食器を大別すると、ワン(碗・椀)と皿になる。酒器や茶器を除いたところでは、食器分類はことのほか単純である。

ところが、日本では、鉢という分野を発達させている。もちろん鉢はワンの傍系とすることもできるが、皿鉢(浅鉢)となると、そう単純にワンの傍系といえないところがある。

皿鉢にこだわる理由は、それが坏(つき)(杯)の系譜をつなぐ独立した分野と思えるからである。坏は、縄文土器では量が少ないが、弥生土器では多く確認できるし、土師器(はじき)や須恵器では主流食器として普及している。つまり日本の食器の原型は坏にあり、それがワンと皿に分化して発達したとみることが可能なのである。

世界でも稀な膳の発達

世界では、食台・食卓がそれぞれに古くから一般的であった。が、日本では、世界でも稀な膳の発達をみた。

日本での膳は、そこに直接料理を置くものではない。だが、膳の原型は、折敷であり掻敷である。いうなれば、紙と板。現在でも、たとえば鮨屋でゲタという板に刺身や鮨を盛ることがあり、また茶席では懐紙に菓子を置く。そのような例は、中世に描かれた絵巻物の中でも認められる。高杯も膳であると同時に食器だったのだ。

日本では、室町時代の頃になると、膳組みを定型化した。つまり、椀と皿と鉢を大小組み合わせて膳に配する。それは漆器の開発をともなってのことであった。あわせて、江戸の中期から磁器の食器も流通し、特に、飯碗と小皿の分野では磁器が主流となる。ハレの膳組みにも磁器を使用することが多くなっていく。

現代の会席膳にもそれが伝わっている。また、日常の食卓では、膳こそ欠落したものの、磁器の飯碗と漆器の汁椀の併用が一般的。小皿、小鉢、それに大型の皿鉢や丼鉢なども日常的に多用されている。いちはやく、食器の分化を進め、漆器と時期を上手に併用する、その伝統は生きているのである。

草花蒔絵懐石道具(くさばなまきえかいせきどうぐ)(作者不詳/大正〜昭和時代・20世紀)紀文食品所蔵

草花蒔絵懐石道具(くさばなまきえかいせきどうぐ)(作者不詳/大正〜昭和時代・20世紀)紀文食品所蔵

縄文時代から使われていた漆器

日本では古くから漆器の発達がめざましく、じつに多様に用いられた。食器に限っていえば、漆の利用の最も古い例は、縄文前・中期の遺跡の出土品に確認できる。原型をほぼとどめた朱塗りの木地鉢や土器に朱漆を塗った鉢が出土しているのだ。これらは、食べ物の盛り鉢といえるだろう。

古墳時代後期から使われだした須恵器がゆきわたったとみられる平安時代には、漆器も出まわりはじめ、塗りものと焼きものが併用されるようになった。のちに長く伝わる“膳組み文化”というべき伝統のはしりが絵巻物にも描かれている。

鎌倉時代までには、須恵器が食器(特に坏と皿については)の主流となるが、ワンの分野ではすでに漆器の椀が出まわっていた。椀に飯や副菜を盛った庶民の食事風景が絵巻物にうかがえるのである。

漆器の膳組みの発達は、仏事の影響が大きい。鎌倉時代に禅宗系の精進料理が生まれ、漆器の平膳と椀類を組み合わせた膳組みが定型化している。精進料理を源流とし、宮中儀礼にもとづいて完成されたのが室町中期の登場した本膳料理。三膳が基本で、膳組みは四椀(飯椀・汁椀・平椀・壷椀と一杯(高杯、もしくは腰高の皿)からなる。

ところで、庶民の食事は近世になってもなお、膳組みとはほど遠い簡素なものであったであろう。いわゆる“一汁一菜”の食事形式が長く伝わった事実はいうをまたない。その場合は、塗りものが一椀か二椀。それに焼きものの坏か皿。これらが白木地の折敷か、粗末な塗りものの膳にのる。この基本的な形式は、須恵器が磁器に変わったとしても、古代末の頃から近世・近代を通じてほぼ同じと考えられる。

使用する過程で成熟する食器文化

明治の文明開化期、最初に洋風化が進んだのは衣生活であり、食生活や住生活においては、なお守旧性が強かった。大きな変化が生じるのは、第二次世界大戦後といってよいだろう。

高度成長期を経て、膳や卓袱台に代わりテーブルが広まり、食器も多様になった。飯碗と汁椀と皿、それに箸を用いる基本形態は伝えられているものの、いわゆる洋皿が万能器となり、食卓の風景は大きく変わってきている。

食器についていうと、各家庭の台所にこれほど大小さまざまな食器を所有した時代もあるまい。しかし、その半分も生かされていないのではないだろうか。器は使うことで価値が高まる。食べものを盛り、箸をつけ、さらに洗って収納する過程で、我々は食器と対話をするのである。そこに文化が生じ、文化が成熟するのだ。

最近はカジュアルで日常的にも使いやすいお重箱も増えている

最近はカジュアルで日常的にも使いやすいお重箱も増えている

漆塗りの食器

【重箱】
【重箱】

外側が黒塗り、中側が朱塗りが普通だが、梨子地や薪絵の豪華なものもある。二段から五段くらいまである。

【堤重】
【堤重】

物見遊山が盛んとなった江戸時代に普及した、携帯しやすいコンパクトな重箱。花見や芝居見物に、弁当を詰めて持参した。酒器や銘々皿をセットしたものもある。

大平椀
【椀】

写真は大平椀

飯椀:
一般的にはハレの食器として普及。安土桃山時代の上流階層においては、朱塗りや蒔絵の華美な蓋付き椀も使用された。
汁椀:
磁器が多用されるようになった膳組みで最後まで残った漆器。  
平椀:
主に煮ものを盛るのに用いる、蓋付きの平たい椀。オヒラともいう。
壺椀:
膳組みにおいて、膳の向こうに配される小鉢状の器。和えものや酢のものなど簡単な料理を盛る。

 

※神崎先生が分類したもの。この他、膳・盆・食籠がある。

紀文と漆器との出会い、そしてこれから

この資料で登場する漆器は、紀文食品が長年にわたり収集を行ってきたコレクションの中からピックアップしたものです。日の出オフィスには漆器展示室があり、これらのコレクションの一部をご覧いただけます。 

時代物の重箱を皮切りに始めた漆器のコレクションは、食関連の弁当箱・膳・椀・盃・皿・菓子器などにひろがり、新しい技法を磨きつつ伝統工芸をいまに伝える匠たちに共感し、現代作家のかたがたの作品も加わっています。

紀文ではこれからも、漆の美や、おせち料理をはじめ、日本の美しい習慣を後世に遺すとともに、その文化性を発信し続けていきたいと考えています。

『心 麗しの漆器~紀文漆器コレクション~』

『心 麗しの漆器~紀文漆器コレクション~』
2008年の創業70周年記念事業として、紀文の漆器コレクション103点の作品をカラー写真に収め、併せて、漆工芸品の特徴、
歴史、技法を記載した書籍。2010年に発行