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お正月のいわれ

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お正月のいわれ文庫

日本人のしきたりと正月

飯倉晴武先生は、長年にわたり、宮内庁書陵部において皇室関係の文書や資料などの管理と編修を行う首席研究官として務められました。日本の公式な伝統行事研究の第一人者で、ベストセラー「日本人のしきたり」の編著者でもある先生に、「正月」のしきたりについてお聞きしました。

日本人のしきたりと正月 作家 飯倉晴武

作家 飯倉晴武(いいくら はるたけ)

1年の節目として、日本人は正月をとても大切にしてきました。正月に各家に降臨するとされる年神様にその年の幸運を授けてもらうため、さまざまな習慣が生まれ定着しました。飯倉先生へのインタビューで今も伝わる正月行事のルーツを紐解きます。

正月行事が行なわれた由来

そもそも、正月行事が行われた由来は何でしょうか。
年が変わっても毎年同じような行事が行われるように、人間は経験上、新しい年が繰り返しやってくることがわかっています。特に日本人は元々農耕民族ですから、今年も豊作であってほしいと願う気持ちで新年を迎えます。新年を迎えることは神事なので、昔の日本人は禊(みそぎ)をして、神にお祈りを捧げました。そういうところから始まったのが正月行事の起源といえるのではないでしょうか。
そうするとかなり昔、農耕が始まった頃から、正月行事とは呼ばないまでも、何らかの形で新年を迎える行事があったのですね。
昨日までは去年、一日過ぎるともう新年に変わるという認識をもったのです。それが文献に現れるのは天皇や公家が主体で、庶民や農民の話はなかなか出てきません。天皇や公家は、年が変わると禊をして天地四方を拝みました。それが「四方拝」です。京都に都があった頃は、天皇が鴨川に行って本当に禊をされました。奈良時代の天皇も川に入って禊をされたと聞いています。やはり「身を清める」、それが正月最初の行事ということです。そして新年の神様を迎えたのです。
その神様というのは「年神様」と一般的に呼ばれる神様でしょうか。
新年にあたっての神様ですので、年神様といってよいでしょう。
年神様は、どちらの方向からやってくるとか、どこにいらっしゃるとかはあるのでしょうか。
日本人にとって神様はたくさんいます。だから天地四方を拝むわけです。山の神、海の神、川の神...。庶民的に見れば「かまどの神様」もいます。火がないと料理もできません。そういうところからかまどの神様も非常に大切にしています。だから大晦日までにおせち料理などを作っておいて、新年になればそれを食べて、かまどはお休みにするのです。かまどの神様にも三が日くらいは休んでもらうという気持ちの表れです。
いずれにしても正月は神様に感謝をするという時ということでしょうか。
そうです。その感謝だけでなく、これからの一年を大事にしたい、豊作にしていただきたいと願う気持ちもあるわけです。農耕民族であり、季節がある日本だからこそ、感謝と祈りの念が込められた正月行事が生まれたということです。

飯倉晴武(いいくら はるたけ)

1933年東京生まれ。東北大学大学院修士課程修了。宮内庁書陵部首席研究官、同陵墓調査官等を歴任。 奥羽大学文学部教授、日本大学文理学部等講師を経て、現在は著述に専念 。 著書に『日本古文書学提要』上・下刊(共著、大原新生社)、『天皇文書の読み方、調べ方』(雄山閣出版)、『古文書入門ハンドブック』(吉川弘文館)、『地獄を二度も見た天皇-光厳院』(吉川弘文館)、「日本人のしきたり」(青春出版社)、「日本人 数のしきたり」(青春出版社)等、多数。