おでん;これさえ読めば、あなたもおでんのエキスパート。おでんのおいしい作り方も必見!

- プロフィール
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 伝承料理研究家 奥村 彪生(おくむら・あやお)
1937年和歌山県生まれ。伝承料理研究家。奥村彪生料理スタジオ「道楽亭」主宰。大阪市立大学生活学部非常勤講師、大学院前期博士課程特別講師。世界の民族料理と日本の古代から現代までの食を研究し、食卓やテーブルコーディネートの変遷や料理を再現。著書に『万宝料理秘密箱』(ニュートンプレス)、『テーマ別ふるさとの家庭料理』 全 20巻解説(農文協)など多数。
日本人のDNAに受け継がれるおでんのおいしさ
「おでん」と聞くとみなさん何を思い浮かべますか?大根、玉子、さつま揚?それとも熱燗ですか?場所によってはたこや、牛すじ、鯨の舌を乾燥させたさえずりが入るなど、さまざまな海の幸、山の幸が楽しめるおでん。だし汁の複雑なおいしさも魅力の一つです。
おでんは大都市である東京、名古屋、京都、大阪に4 つの大きな系統が残る、食文化の観点からも面白い料理です。
東京のおでんは飴色に煮染まった大根が特徴的な濃い醤油色。かつおだしと濃口醤油ベースの甘辛い味付けです。大阪のおでんは昆布の効いたかつおだしに薄口醤油とみりんで甘味をつけた淡い色。京都は大阪のように甘味を効かせないメリハリのある、はんなりした味です。名古屋は八丁味噌で煮込む味噌煮込みおでんです。
実は、おでんは、京都で生まれた味噌田楽がルーツ。そして、それぞれの都市に生きるおでんには、日本料理のルーツも隠されています。
遥か平安時代、約1200年の時を遡り、おでんの歴史をひもときながらお話しましょう。
おでんの変遷、平安から現代まで 平安時代:中国より豆腐伝来
田楽に「お」をつけたのが「おでん」の名の由来。豆腐田楽が先祖です。豆腐の記録は、平安末期、奈良、春日大社の寿永2(1183)年の社務所日記に、「唐符」とあり、これが今日の豆腐である証拠にこれを作った大豆の量も示されています。この豆腐を祭礼の後、拍子木型に切って竹串に刺して焼き、塩をふって仕上げたのです。この時代、味噌や未醤、醤を使って煮たり焼いたりする調味技術はまだありませんでした。
室町時代:おでんの原型、豆腐田楽の登場
調理・調味技術が飛躍的に進歩する室町時代は、鎌倉時代に道元禅師が中国より持ち帰った精進料理、いわゆる調菜とそれまでの魚貝を庖丁で切って美しく盛る料理の技術が合体して、今日の日本料理の骨格が形成されます。
すり鉢の登場によって、嘗めものとしてそのまま味わっていた味噌が、すり潰されて調味料になり、味噌汁や味噌煮ができるようになります。
そして、味噌を塗って焼いた“お田”、豆腐田楽の登場です。田楽とは元来、笛や太鼓のリズムに合わせ舞った、田植え時の豊穣祈願の楽舞。1本竿の竹馬に演者の男が乗って踊りました。これを田楽舞と言います。拍子木型に切った豆腐に竹串を打って焼く、その形が田楽舞に似ているところから豆腐田楽の名が付いたのです。江戸時代の料理書『豆腐百珍』(天明2(1782)年)に絵図が載っています。田楽にはいろいろあり、豆腐だけでなく、猪や鹿の肉なども田楽にしましたし、魚を焼いて味噌をつけたものは魚田と言いました。
おでんに欠かせない練り製品が初めて作られるのも、やはりすり鉢の登場によるもので、室町時代、足利将軍家に仕えた庖丁人、大草流の料理書にナマズで作った蒲鉾の記事があります。
江戸時代:振り売りや屋台によって親しまれた庶民の味
江戸時代、徳川幕府の支配のもと、世の中が安定的な時代を迎えると、江戸は政治の、大坂※は商業の中心として栄えました。江戸は京都や大坂に比べて新興都市でその発展に寄与したのが各地から集まった職人達です。その人たちの食事を支えるために、外食産業が盛んになります。
この時代、上方で、こんにゃくを昆布だしの中で温め、甘味噌をつけて供するようになります。これが上方の煮込み田楽です。焼かない田楽の登場で、これが汁気たっぷりの今のおでんの原型ですが、汁に味はつけていませんでした。
今、私達が「おでんと言えば熱燗」と思い浮かべるのは、江戸末期の行商人、“振り売り”にルーツがあります。振り売りの商うものは、飴や野菜、納豆、魚貝など多岐に渡りました。おでんの振り売りは、おでん鍋と燗鍋を乗せた木箱に天秤棒を渡し、「おでん かんざけ」の行灯や暖簾をかけ、呼び声をかけて、街を売り歩きました。絵図には、辛子や七味のようなものも見られます。
大坂は昆布だしで温めて甘味噌をつける伝統を守り、江戸はかつおだしに醤油や砂糖、みりんを入れた甘辛い汁で煮込むようになったのです。
江戸時代末期に、江戸のおでんが進取のスタイルになったのは、握りずしを生んだ江戸の刺身文化と関係があります。近郊の銚子や野田で醤油の醸造が盛んになり、大量の醤油は利根川を流通路として運搬され、安い醤油が庶民にも行き渡ったのです。
振り売りはやがて屋台になり、単身者が多かった江戸で、庶民の胃袋を満たします。幕末の浮世絵師、歌川広重の「東都名所 高輪二十六夜待遊興之図」という絵には、蕎麦や天麩羅、握りずしなど20軒ほどの屋台が並びますが、単身赴任者が多かった江戸の町では、「早く」「旨い」ものが求められました。大坂式の味噌おでんは、温めて、味噌を塗ってと、手間がかかります。江戸の醤油味の煮込みおでんがもてはやされたのは、縁起を担ぐ江戸っ子が仕事や金まわりに「ミソをつける」のを嫌ったというのもあったのでしょう。
今のおでんに欠かせない、さつま揚が登場するのも江戸時代末期です。『海鰻百珍』(寛政7(1795)年)は鱧を重用した、上方の料理書で、「すり身を油で揚げたのをてんぷらという」とし、ささがきにしたごぼうや、きくらげ、松茸、筍などの具入りのさつま揚を紹介しています。それより前に鮫の身とさつまいもで作るはんぺんはすでに江戸のおでんに使われています。
大正時代:練り製品など、種ものの充実でさらにおいしく
時代は大正に入り、東京と大阪の2つのタイプが出会い、おでんがさらに進化するのは、大正12(1923)年の関東大震災で、東西の料理人の行き来がきっかけです。
江戸の料理人によって大阪に持ち込まれた醤油煮込みおでんは、味噌だれのおでんと区別して「関東煮」(かんとうだき)と呼ばれます。濃い醤油の色が好まれず、薄口醤油になって、ここに関西風のおでんが誕生します。淡い色の醤油味のだしで煮るため関西炊(かんさいだき)ともいいます。
大阪で“天麩羅”としてポピュラーだったさつま揚は、この時に入ったと思われます。さつま揚の持つ油分はおでんにコクとまろやかさを加えました。江戸時代末期、大坂の天満あたりでは、まるごとのたこを甘辛く煮た「関東煮」という一品料理が名物でしたから、たこがおでん種になるのも自然でした。今も大阪に「たこ」と名のつくおでん屋さんが多いのはこういう訳です。
具沢山になった関西風のおでんは、今度は逆輸入のような形で関東にも広まります。
昭和時代:外食から家庭の定番メニューへ
だしや種ものの多様化で飛躍的においしくなったおでんは、煮込むだけという商いの手軽さ、串に刺してすぐに食べられる独特の楽しさから、屋台や居酒屋、駄菓子屋で庶民の味として親しまれます。
家庭の定番メニューになるのは、戦後のことです。昭和40年頃、大阪の千里ニュータウンで、鍋料理の調査をしたのですが、ちょうどこの頃は食卓の主役がごはんからおかずに変る頃です。おでんはしゃぶしゃぶ、うどんすきに次いで3位に入っています。練り製品の主原料がスケソウダラになり、価格が安定し、経済の急速な進展で発達した流通網によって、鮮度保持が可能になり、デパートやスーパーマーケットで気軽に購入できるようになったからです。
名古屋の味噌煮込みおでんは、甘辛く仕立てた八丁味噌の汁で煮込んだ、味噌だれと煮込みの折衷タイプです。上方の煮込み田楽の変型でしょうか。東京とも関西とも違う独特の風味です。
このようにおでんは、調理の手軽さと、我が家の味を出せる懐の広さがあります。これが家庭食として定着した理由でしょう。
昆布だしとかつおだしのルーツ
さてここで、おでんのだしの起源を簡単に触れましょう。
奈良時代にアイヌによってもたらされた昆布の歴史は古く、平安時代以降は若狭を経由して京都に納められています。鎌倉時代の勝って「喜ぶ」にかけた結び昆布は、武士の出陣の縁起物として欠かせないものでしたが、あくまで噛んだりなめたりして旨味を直接味わうものです。だしとしての利用は、日本料理の技法が進む、室町時代からで、幕末まで関西のだしの主流になりました。
かつお節も、税収の記録から奈良時代に存在したことが分かっていますが、だしに利用されるようになるのはまだ先で、ほうれん草に削ったかつお節をのせるように、削りものとして食べていたようです。だしとして煮物に用いられるのは、江戸初期の料理書『料理物語』(寛永20(1643)年)に見ることができ、関西より江戸の方が早かったと思われます。
昆布だしとかつおだしを合わせるようになったのは幕末の頃。江戸時代の戯曲作家、滝沢馬琴が大坂のうどんのおいしさに驚いたという記録がありますが、これは合わせだしに違いありません。なぜなら、かつお節と昆布の複合化で旨味は2倍ではなく、7〜8倍にもなります。また、かつおだしには独特のえぐみがあり、それだけでは淡白なうどんには合わず、まったりと甘みのある昆布だしと合わせてこそ、驚く程のおいしさになるからです。
一方、かつおだしと濃口醤油のつゆで食べる蕎麦がおいしいのは、蕎麦に含まれるえぐみがかつおだしのえぐみとよく合うからです。
おでんは海の味、人気は永遠に
One pot cookingのおでんは、調理に手間がかからず、家庭の食卓にぴったりです。おでんがかくも永きに渡って愛されてきたのは、昆布やかつおのだし、練り製品をベースにした「海の味」だからです。これは日本人の味覚のDNAに深く刻まれているので、この先どんなに時代を経てもおでんの人気は変らないでしょう。
おでんは、農村や漁村で囲炉裏を囲み、その土地の食材を煮炊きした鍋料理とは、もともと異なる都市の食文化です。また、温めながら供していた歴史から見ても、鍋料理というより、煮物です。
一方、京料理にそのルーツを見出すことができるように、日本料理は水の文化で、そのおいしい軟水で昆布とかつお節でだしをとり、野菜を煮炊きして美味に食べる伝統があります。
最近、東京では、専門店などで、野菜おでんが流行りと聞きましたが、おでんはもともと、野菜との相性が良いのです。
健康の観点からいっても、21世紀は野菜の時代です。おでんは、日本料理の発展や生活スタイルの変化と共に、姿を変えながら生き続けて来ましたが、これからは鍋料理に近い感じで野菜を増やす等、もっと自由に楽しんで良いでしょう。
れんこんやかぶ、長芋などの根菜類はもちろん、レタスやチンゲン菜などの葉ものやきのこ類もおいしいものです。
平成の時代、野菜の登場で、さらにおでんの可能性が広がるかもしれません。
※現在の大阪は江戸時代には大坂と表されており、本資料もこれに準じました。
- 水にかつお節、さば節、そうだ節を合わせた煮物用の混合節と、利尻昆布を入れ、沸騰するまで強火、2〜3分弱火で煮だし、こします。
- だしをとった昆布は切って結びます。
- 圧力鍋に水とさっと湯びいてアクと血を除いた和牛のすじ肉を入れ、約6分ゆで、アクと脂をこします。
- 1と3のだしを合わせ、薄口醤油、酒、みりん、砂糖で味をつけます。
- 大根は皮をむき、2cm厚さに切ります。切りながら水を張ったボールに入れ、空気に触れないようにするのがポイント。空気に触れると辛味成分がでます。下ゆではしません。
- ごぼう天、ゆで玉子、こんにゃく、厚揚げ、皮をむいた里芋、昆布、たこを入れて、大根が柔らかくなり過ぎないように30分ほど蓋をして、とろ火でのんびり煮込みます。
- 食べる時にベーコンで結んだえのきだけやわかめをさっとおでん汁にくぐらせていただきます。
からしは酢で溶くと、辛味がやわらぎます。ピリっとした辛味がおでんの味を引き締めておいしくなります。
このお話は奥村彪生先生へのインタビューをまとめたものです。
報道用資料 2005年発行「紀文鍋白書」より *インタビュー内の栄養成分の表記等は、各報道用資料発行当時の公表数値に基づきます。
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