
- プロフィール
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新井由己(あらい よしみ)
1965年、神奈川県藤沢市生まれ。1991年からアウトドア雑誌や旅行ガイドブックに文章を書き始めるが、1993年から2年間は田舎暮しの資金稼ぎのためにタクシー運転手となる。その後、パソコン・インターネット関係の原稿を書きながら、民俗学の世界に傾倒し、「文化」を視点にしたルポ記事の執筆と写真撮影を続けている。本年上梓した著書「とことんおでん紀行」(凱風社)が話題となり、注目を集める。来年秋には産地を訪ね全国のおでんのレシピをまとめた第2弾の著書を出版予定。
おでんのルーツは田楽
「おでん」のルーツは、ずばり「田楽」。そう、「おでん」の「でん」は「お田楽」の「でん」なのです。その「田楽(焼)」とは豆腐に味噌をつけて焼いて食べたのが始まりで、後述するようにこんにゃくや、その他野菜類などにも及びましたが、ルーツは豆腐を使ったものです。
田楽焼の名の起こりは、古くから伝わる農耕儀礼にまつわる芸能の一種で、田楽法師が高足と呼ばれるものに乗って飛びはねる姿と、豆腐に一本串を刺して立てた形が似ていることからといわれています。
さて、その田楽焼は室町時代の文献に登場します。当初は味噌田楽が一般的だったようですが、江戸時代中期以降、豆腐の代わりにこんにゃくを用いるようになったようです。しかしまだ煮込むのではなく、熱い石に当てて水分を飛ばし、熱いところに味噌をつけて食べていました。
そして、江戸時代末期の江戸で、その田楽を煮込むことが始まりました。もともと、湯で温めた田楽に味噌を付けていたものが、そのまま湯の中にだしと一緒に煮込むように変化したようです。また、ちょうど醤油で濃口に煮込む料理が流行した頃で、その影響もあったのでしょう。明治以降は、具材も次第にバラエティに富むようになり、たれも味噌のかわりに辛子を用いるようになっていったようです。
焼き田楽が主食の菜飯に付随していたように、この煮込み田楽は茶飯に付随していました。そしてさらに酒が伴うようになって、「おでん・かん酒」が看板になるようになりました。茶飯・おでん・かん酒がセットになっていたと言えるでしょうか。
関西では、この関東から来た煮込み田楽を、従来の焼き田楽と区別するため、「関東煮(かんとうだき)」と呼びました。この関西の「関東煮」は次第に発達して一般の客座敷へも進出し、いわゆる現在の「おでん」に近い、「お座敷おでん」へと形態をととのえていきました。
しかし一方、東京ではこの「おでん(煮込み田楽)」は発生以来、庶民を対象として、屋台・茶飯屋の食べ物として材料も調理法も固定したままほとんど改良もみられなかったようですが、関東大震災後の、関西の料理人の東京進出をきっかけに、関西形態のおでん屋さんが登場します。こうして現在もある老舗のおでん屋さんが登場し、以降急速に一般化してゆくのです。
(『茶飯』→茶を煎じた汁で炊いた飯のこと。茶粥の発達したもので、後には桜茶飯と名付けて茶と塩以外に醤油・酒を加えて炊き込むようになりました。)
(『関東煮』の名前は関東から来た煮込み田楽と言う説のほかに、堺の出島で外国人(広東人)が行っていたたくさん具の入った鍋料理を見て、『広東人鍋』から『かんとうだき』と言ったという説もあります。)
<参考文献>
- 清水佳一「たべもの語源辞典」(東京堂出版)
- 「食品大辞典」(真珠書院)
- 「食いしん坊の語源集」(文潮出版)
- 辻勲「おでん」(ひかりのくに)
- 舩大工安行「おでん屋さんが書いたおでんの本」(三水社)
- 石井郁子「たべもの歴史ばなし」(柴田書店)
- 「日本料理由来辞典」(同朋舎)
- 能宗久美子「医食同源 世界の鍋料理」(農文協)
- 田井友季子「食卓のなぜ学ストーリー(1)」(農文協)
- 「ふるさと日本の味」(集英社)
報道用資料 1999年発行「紀文鍋白書」より
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