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紀文アカデミー

【おでん】教室 文化

おでんと落語と志ん生と

講師:長井好弘先生(演芸評論家)

普段着の食事である「おでん」は、庶民の生活を描いた落語の世界にも登場します。五代目古今亭志ん生の十八番「替り目」が有名で、外でたらふく飲んで家に帰った亭主が、もう一杯飲ませろと女房と交渉する噺です。

おでんと落語

東京・池之端のおでん屋「多古久」には、昭和の名人、五代目古今亭志ん生の写真が数枚飾られている。
すぐ近くに「鈴本」という東京で一番古い寄席があるから、出番の後にふらりと立ち寄ったのだろう。決まった席にすわり、あの人懐こい口調で「大根とコンニャクね」。大衆価格だが、東京っ子好みのしっかりと味のしみたおでんに舌鼓を打った。

志ん生十八番の「替り目」は、落語好きにとっては唯一無二の「おでん落語」だ。

噺に登場するおでんは、主役でも敵役でもなく、主人公夫婦の会話の中に出てくる小道具である。だが、「『替り目』といえばおでん」といわれるほど強烈な印象が残る。

「(おでんダネは)何が良いの」「俺の好きなものはヤキ」「ヤキって何?」「焼き豆腐だ。酔っぱらってるのに『や・き・ど・う・ふ』なんて言ったら舌噛んじゃうだろ。縮めて言うんだよ。それからヤツだ」「ヤツガシラね」「そうだよ。あとはガン」「鳥の雁?」「違うよ、ガンモドキっ! お前の好きなものも買って来な」「じゃ、ペンがいい」「なんだそれ」「ハンペン」

鍋を抱えて夜明かしの屋台へ走るカミサンの背に手を合わせ、普段は言わない感謝の言葉を漏らす酔いどれ亭主。ヤキやガンと一緒に、夫婦二人の愛情もじっくり煮込まれているかのようだ。

志ん生は終戦後、満州に抑留され、1947年に命からがら戻ってきた。新宿末広亭での帰国第一席も「替り目」だった。

その2年後、新東宝映画「銀座カンカン娘」に引退した噺家役で出演した志ん生は、ラストで新婚夫婦(灰田勝彦と高峰秀子)の前途を祝って「替り目」を演じている。



「うちのカカアにしゃべってるようで、身につまされる噺ですよ」


数百席を数える東京落語には、なぜかおでんの登場する噺が少ないが、落語ファンは志ん生の「替り目」に出てくるおでんで、十分に満腹しているのである。

古典落語の「替り目」は、志ん生以後も現代の演者に受け継がれ、今も寄席の人気演目である。また近年は、新作落語でも、うまそうなおでんにお目にかかれるようになった。

中堅新作派・柳家小ゑんが作った「ぐつぐつ」は、おでんの鍋で煮込まれるイカ巻が主人公。柳家さん生作の「亀田鵬斎」は、著名な書家がなじみの屋台の小障子に「おでん 燗酒」と落款付きで書いたことから起こる珍騒動だ。噺も面白いが、舞台となるおでん屋のほうが気になってしまう。

懐かしい志ん生も、平成の新作もいい。寄席の後、おでん屋ののれんが恋しくなる。

長井好弘(ながい・よしひろ)『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』(東京かわら版新書)プロフィール
長井好弘(ながい・よしひろ)さん

演芸評論家。都民寄席実行委員、浅草芸能大賞専門審査員。1955年東京・江東区生まれ。落語、講談、浪曲、諸演芸、文楽、歌舞伎などに詳しい。近著に『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』(東京かわら版新書)。