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紀文アカデミー

【おでん】教室 文化

おでんと文学

日本人の身近な料理として愛されてきたおでん。小説やエッセーの中にも数多く登場します。「小説家は女と食べもののことを書けるようになると一流」と作家・開高健は語っていましたが、とくに酒を愛する作家には、おでんが欠かせないようです。

おでんと文学

『夫婦善哉』織田作之助

著者が本格的に世に出るきっかけとなった短編小説。大正から昭和にかけての大阪を舞台に、芸者上がりの蝶子と化粧品卸問屋の息子・柳吉の物語。柳吉は勘当され、家を出ることになり、剃刀屋、関東煮屋(おでん屋)、果物屋、カフェと転々と商売を変えるがちっとも長続きしない。こんな男になぜ蝶子は惚れるのか……。以下は関東煮屋をはじめるときの話。

新規開店に先立ち、法善寺境内の正弁丹吾亭や道頓堀のたこ梅をはじめ、行き当たりばったりに関東煮屋の暖簾をくぐって、味加減や銚子の中身の工合、商売のやり口などを調べた。
『夫婦善哉』織田作之助
岩波文庫

おだ・さくのすけ 1913〜1947年 大阪生まれ。小説家。「俗臭」(1939年)、「夫婦善哉」(1940年)を発表。話題となり、本格的な作家生活を送るようになる。「夫婦善哉」は、主人公の蝶子・柳吉夫婦が関東煮(おでん)屋を開く話。

『新しい天体』開高健

人が持つ食への限りない執着を浮かび上がらせる異色の食紀行小説。「取材費は惜しまない。胃潰瘍になるくらい食べてくれ」。官庁の余った予算を使い切るため生み出された「相対的景気調査官」なる珍妙な役職。日本全国のあらゆる名物を食べ歩き、食の現場が景気によってどう影響を受けているかを"実感的"にレポートするのが任務。本日は大阪の関東煮の店へとくり出します……。

浅黒い顔をした当主はブッスリしたままサトイモやチクワやコンニャクなどをぐつぐつ煮えたぎる鍋に入れ、そこへサエズリの串をつっこみ、ときどき透明なダシをザブッとそそぎ、黄ザラの砂糖をひとつまみ、ごく無造作な手つきでほりこんだりする。(略)酒を邪魔しない味である。
『新しい天体』開高健
光文社文庫

かいこう・たけし 1930〜1989年 大阪生まれ。1957年「裸の王様」で芥川賞受賞。ルポ、エッセイも多数執筆。釣り名人、美食家としても知られた。

『ずばり東京』開高健

開高健の東京ルポルタージュ。1960年代前半、東京オリンピックに沸き立つ首都は、日々、変容を遂げていました。その一方で、いまだ残る戦後の混乱、急激な膨張に耐えられずに生じる歪みも内包していました。著者は都内各所を巡り、素描し、混沌さのなかの東京を描き上げます。そのなかにおでん屋台も出てきます……。

よしず張りにビニール幕をひっかけてかこったおでん屋台。「なににいたしましょう?」「バクダンとゴボウ巻き」「私、大根」「おや、同性愛だ」「いやァん。どうして?」「大根が大根を食べる」「バカ」
『ずばり東京』開高健
文春文庫

かいこう・たけし 1930〜1989年 大阪生まれ。1957年「裸の王様」で芥川賞受賞。ルポ、エッセイも多数執筆。釣り名人、美食家としても知られた。

『酒呑みの自己弁護』山口瞳

世界の美酒・銘酒を友として三十余年、著者は常に酒と共にありました。酒場で起こった出来事、出会った人々を想い起こし、世態風俗の中に垣間見える、やむにやまれぬ人生の真実を優しく解き明かすエッセー。寿屋(現サントリーホールディングス株式会社)宣伝部に入社した著者は、毎日回ってくるおでん売りが楽しみだった様子……。

私は会社で仕事をしていて、今日はツミレとダイコンにしようか、それとも、ツミレをやめてバクダンにしようか、フクロにしようかと策戦を練ったものである。メモ用紙にひそかに計算したり、財布の中を確かめたりした。
『酒呑みの自己弁護』山口瞳
筑摩書房

やまぐち・ひとみ 1926〜1995年 東京生まれ。1962年「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞受賞。「週刊新潮」で31年間連載を続けたコラム「男性自身」が有名。

『わが食いしん坊』獅子文六(岩田豊雄)

鋭い風刺と軽妙な筆致で人気を博した著者は、同時に“グウルマン”としても一級の人でした。本書では、著者が幼少時代から親しんできた懐かしい味の思い出、渡仏時代に名店めぐりでつちかった食への執念、酒飲みの作法から四季折々の食材までを、独特の視点から語り尽くします。そのなかにおでん屋の話も……。

毎年、寒くなると、おでん屋へ行きたくなる。若い時に、おでん屋の酒ばかり、飲んでいたからであろう。おでん屋の酒は、悪酒ときまっていたが、熱いガンモやスジの上に、うんとカラシを塗ったのを、サカナにすると、酔いが早く廻るのである。ガマグチの中身を心配しながら、飲む酒のウマさは、格別であった。
『わが食いしん坊』獅子文六(岩田豊雄)
角川春樹事務所・ハルキ文庫

しし・ぶんろく 1893〜1969年 横浜の貿易商の家に生まれ、フランスに留学。フランスで演劇を学び、帰国後、戯曲の翻訳や演出などに力を注ぐ。代表作に「てんやわんや」など。

『春情蛸の足』田辺聖子

初恋の相手に連れて行かれた理想のおでん。彼女の食べる姿に惚れたきつねうどんにたこ焼き。妻が味を再現できないすき焼き。そして離婚相手と一緒に味わうてっちり……。読むと幸せになれる、食と恋の短編集。タイトルの「蛸の足」はもちろんおでんの種ものです。

おでんの湯気が杉野の顔にかかる。この、はじめのときめきが何ともいえない。醤油とダシの柔らかいせつない湯気が、もわーんとまともにくる。杉野はしばし瞑目してその匂いを心ゆくなで吸い込み、さて、酒を注文してから、いそいそと、「蛸。それからサエズリ。こんにゃく」と矢つぎ早やに頼む。
『春情蛸の足』田辺聖子
講談社文庫

たなべ・せいこ 1928年〜 大阪生まれ。1964年「感傷旅行」で芥川賞受賞。恋愛小説など多くの作品を発表。自伝的ドラマ、NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」でも有名。2008年文化勲章受賞。

『きんぎょの夢』向田邦子

向田ドラマの小説化第4弾。おでん屋を経営する砂子には、結婚してもいいと思っている男がいました。ある日、店に見知らぬ女がやってきて……。婚期を逸した女のはかない夢を描いた向田作品で、TVドラマにもなりました。

「主人がいつもお世話になりまして」「あの……」「今晩もお夜食ご厄介になったんでしょ? フフ……殿村よ……アタシ、殿村みつ子」「殿村さんの、奥さん……」(中略)「あ、あたしにお豆腐とスジと大根。いつも主人……この三つなんでしょう」「はあ、いつも……ごひいきにあずかりまして……」「いいえ、お礼を言いたいのはあたしのほうよ」みつ子はわざとらしい笑い声を上げると、「だって……晩のごはんの心配しなくてすむんですもの」
『きんぎょの夢』向田邦子
文春文庫

むこうだ・くにこ 1929〜1981年 東京生まれ。テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」などヒット作を数多く手がける。1981年、飛行機事故で急逝。

『探偵はバーにいる』東 直己

札幌を舞台にしたハードボイルド小説。札幌の歓楽街ススキノで探偵まがいの仕事をしている〈俺〉は、今夜もバー〈ケラー〉へ。酒場で拾った事件は、大学の後輩の失踪した恋人捜しでしたが、それが思いがけずデートクラブ殺人の調査へと発展します……。

おやじさんは今年六十四になってるはずだ。十年ほど前に奥さんを亡くし、それをきっかけにしたのか、ある大手ホテルの総支配人のポストに別れを告げ、ススキノの込み入った中にある木造会館の一階で、おでん主体の小さな居酒屋を始めたのだそうだ。長年の夢だったと話してくれたことがある。(中略)おやじさんは小鉢を手に戻ってくる。俺の左側に置いてある一人用のソファに座り、その、タチを盛った小鉢を俺の前に置き、割り箸を俺に突きつける。「うまいぞ」「いただきます」うまかった。顔に出た。〉
※タチ=タラの白子。北海道ではおでん種としても使われる
『探偵はバーにいる』東 直己
ハヤカワ文庫

あづま・なおみ 1956年〜 札幌市生まれ。ハードボイルド作家。1992年、『探偵はバーにいる』で作家デビュー。以後、「俺」を探偵役にしたススキノ探偵シリーズ、探偵畝原シリーズ、榊原シリーズなどの作品を発表、気鋭のミステリー作家として注目を浴びる。

『明暗』夏目漱石

朝日新聞に連載していましたが、病没のために未完の絶筆となった長編小説。円満とはいえない夫婦関係を軸にして人間のエゴイズムを追った作品です。会社勤めの主人公・津田由雄が旧友の小林と会って、帰りにどこかで一杯やろうという話に……。

彼は冷やかし半分に訊いた。「君が奢るのか」「うん奢っても好い」「そうしてどこへ行くつもりなんだ」「どこでも構わない。おでん屋でもいいじゃないか」二人は黙って坂の下まで降りた。
『明暗』夏目漱石
新潮文庫

なつめ・そうせき 1867〜1916年 江戸の牛込馬場下横町に生まれる。日本を代表する小説家で、代表作に「坊っちゃん」「吾輩は猫である」など多数。「明暗」が絶筆。

『東海道中膝栗毛』十返舎一九

江戸時代後期の戯作者・浮世絵師、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』。出版すると大ヒット、その後シリーズ化されました。主人公の弥次郎兵衛と喜多八、つなげて「弥次喜多(やじきた)」の名は、現在でも道中ドラマには欠かせない愛称となっています。

厄落としにお伊勢参りを思い立ち、東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都、大坂へとめぐる弥次喜多の二人。道中、狂歌・酒落・冗談などをかわし、いたずらを働き、失敗をくり返しながら行く先々で騒ぎを起こします。そのなかの会話に「おでん(田がく、お田)」も出てきます。

北「田がくで飯にしよう。酒も少し」 女「ハイハイ」 彌次「京ではなんでも、他国者と見ると途方もなく高く取るといふことだから、油断はならぬ」  北「ホンニ、それそれ三文でも割を食つちやァごふはらだ」 (ト、このうち、女、盃を持いで、口取に菜のひたしもの、丼に入て持出) 女「只今、お田がでけます。マア、一ツ上がりなされ」
女「あなたお休みんかいな。菜飯お田あがらんかいな。茶々あがつておいでんかいな」 彌次「モシモシ、わつちらァ天神様へ参詣して、けへりにおめへの処で休みやせうから、この梯子をここに置いてくんなせへ」

『東海道中膝栗毛』(国立国会図書館蔵)

じっぺんしゃ・いっく 1765年〜1831年 江戸時代後期の戯作者、浮世絵師。『東海道中膝栗毛』は1802年(享和2年)から1814年(文化11年)にかけて初刷りされた滑稽本。「栗毛」は栗色の馬のことで、「膝栗毛」とは自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意。

こんなところにも、おでん登場!
  • 松尾芭蕉松尾芭蕉はこんにゃく好きとして有名だった。
  • 作家の開高健はおでん、とくにサエズリのファンとして有名。
  • 「夫婦善哉」の蝶子・柳吉夫婦が開いたおでん屋は、2人の名をとって“蝶柳”。
  • 落語「コンニャク問答」では、卵を“御所車”と呼ぶが、これはなかにキミ(昔は高貴な人の呼称だった)が入っていることから。
  • 赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」のチビ太が持っているおでんは、こんにゃく、がんも、なると巻。
  • 歌舞伎「四千両小判梅葉」の主人公・富蔵は、おでん屋の仮面をかぶった金蔵破り。
  • おでんの俳句1:おでん屋の波形障子ざんざ降り(誓子)
  • おでんの俳句2:戸の隙におでんの湯気の曲り消え(虚子)
  • おでんの俳句3:塗箸の赤くたのしきおでんかな(万太郎)
文献に残るおでん
  • 文献有名な豆腐料理の本『豆腐百珍』(1782年)には、木の芽田楽、きじ焼き田楽など11種の田楽が紹介されている。
  • 『豆腐百珍続編』では、みたらし田楽、あづま田楽など14種の田楽を紹介。
  • 江戸後期の風俗書『守貞謾稿』(1837年)には「味噌をつけて焼いたものならなんでも田楽という」と記されている。
  • 浪花の風』(1856年)には「この地にても蒟蒻の田楽をおしなべておでんという」とあり、こんにゃくのおでんが関西ではじまったことをうかがわせる。